電通新入社員自殺について、残業をなくせば良いという話ではない

原因はなにかということはとても大事

インフルエンザで頭が重い、吐き気がする。熱もある。なので生理痛の薬を飲んだ。
当然、インフルエンザは治らない。
物事には原因があり、原因に対して適切なアプローチを行わなければ、問題は解決しない。

これを因果論という。
物事には原因があり、それを変えれば結果も変わるという考え方である。
西洋医学や現代科学はこの因果論を前提にしている。

高橋まつりさんのような不幸を再び繰り返さないためには、
何が原因だったのか、「正しく」考える必要がある。

残業にばかり注目が集まり、大切なところが見えていない

さて、世の中には様々な事情があり、いろいろな人の都合やらなんやらで、
物事の原因がはっきりと見ないまま問題がうやむやになったりします。
(日本の仕事効率が悪いのはこういうところに原因があるんだろうなぁ…)
今回の電通の事件でも同じことが起きようとしているのではないかと、危惧しています。

2015年12月25日、電通の新入社員、高橋まつりさんがマンションから飛び降り、
自らの命を絶った。労働基準監督署はこれを過労死と認めた。

よく、この件で恋人と別れたことが原因だという人がいるが、これは大きな間違いである。
たしかに表面だけ見ればそのように映るが、人はその程度では死なない。
ましてや、何ヶ月も会ってないような恋人と別れた程度で、
人がたった数日の間に死を選ぶとは思えない。

おそらく、最後の最後まで心を支えていた一本の糸だったのだろう。
人は1つでも心を支えてくれるものがあれば、大抵の苦労は乗り越えることができる。
それが過労死ラインを超えたものであっても、耐えることができる。
そういう最後の希望が恋人だったのではないだろうか。
その恋人と別れたことで、彼女は現実に耐えることができなくなってしまったのだろう。

恋人との別れはただの引き金にすぎない。
恋人の存在自体は心の支えであり、もしその存在がなければ、
より早い時期に、より深刻な状況になっていただろう。

間違いなく自殺の要因は職場の環境にある。
労働基準監督署の判断は、長時間に及ぶ残業による過労死である。
私はこれをあまり良いとは思わない。
人間はそれほど単純ではない。これ以外の要因もあったはずである。

労基署は手続の都合上、証拠を揃えやすい残業時間を選択したそれだけだろう。
このせいで見えなくなってしまった大事な出来事があったはずである。

うつ病になった私の経験からすると、過労はたしかに原因の1つにはなるが、
これだけで人は死ぬものではない。
背景にはパワハラ等の理不尽があったのではないかと推測する。

残業をなくしただけで、今回のような問題が解決するとは到底思えないのである。
その中で残業だけに注目する今のやりかたは、原因を正しく捉えていないように映る。
このままでは、多くの被害者と遺族が願う、「再発の防止」に
真の意味で近づいていないのではないかと危惧している。

ストレスの性質

ストレスというのはなかなか難しいやつで、人によって大小が異なる。
マネジメントみたいな人を扱う人種は得てして、
人を均質なものとして扱いたがるが、これが上手く行った試しはない。

私はこれまで、同じ別人と出会ったことがない。
人間というのはひとりひとり違うというのは、
当たり前すぎるほど当たり前な話だろう。
この現実を無視して人を均質なものとして扱うと、ひどい失敗をすることになる。
例えば私のような人間は1週間黙黙とプログラミングすることは息抜きに近いが、
別の人はただただ苦痛でしかないだろう。
これを勘違いして、プログラミングを辛いと感じるタイプの人間に
1ヶ月黙黙とプログラミングさせていたら、その人は潰れてしまうだろう。
そんな失敗をしないために、人を扱う場合はその人の特性を深く理解しなければならない。
難しいことだが、だからこそマネジメントは難しいのだ。

労働基準監督署が手を出せないパワハラ

高橋まつりさんの場合、次のようなパワハラがあったと残されている。
「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」
「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」
「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」
「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」
これらのパワハラがどれだけ高橋まつりさんに惨めな思いをさせていたか、
今となっては知るすべはない。もし、本人が生きていたのなら、
これらの言葉で人を傷つけることが咎められていないことに、どんな思いを抱くのだろうか。

世の中では、当然いじめやパワハラは許されてはいけないものだ。
しかし、存在するはずなのに、それが咎められることは殆ど無い。
証拠が残りにくかったり、それを処罰する法律が無かったり、
証言をする人が見えない圧力に屈して隠れてしまったり。
なんというか、この手の問題は組織ぐるみで隠そうという流れがあって、
それが容易にできてしまう法整備がされているのである。

なので、労働基準監督署や行政は、それに屈してしまう。
今回、長時間労働による過労死という判断であって、
パワハラについて触れられていないのは、
パワーハラスメントとの因果関係を示す証拠を揃えることが難しく、
そして容易にその証拠を隠せてしまうということを
皆知っているからではないかと私個人は思うのである。

こういう事件はどういうわけか、人が死んでからしか対策が取られない。
本来、自殺をするような精神状態になった時点で、なにか対策が取られなければならない。
証拠を揃えにくかったりすると、こうした対策も行われない。
いつだったか、社労士が社員を精神的に追い詰めて退職させる方法を
ブログ記事に書いたことがあった。
大きな問題になったが、その記事の内容はどうだったのだろうか?
現状、社員を精神的に追い詰めることを咎めにくい法整備しかされていないことの
表れではないだろうか?
残念ながら人の健康は現在の労働環境では保護されているとは言い難い。

人が健康を犠牲にすることのない労働環境に向けて

私個人は今回の事件が過労死だけに注目されていることを残念に思う。
人が死ぬ要因は過労以外にも職場環境には存在するからだ。
それに人が死ぬことだけが労働環境の問題ではないのだ。
大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するという
有名なハインリッヒの法則はいつも人の記憶から忘れられている。
人の死は氷山の一角でしか無く、それをなくすためには、
そこに隠れた「健康を犠牲にしてでも働く体質」を改善しなくてはならない。
それはパワハラだったり、いじめだったり、企業の体質だったり、
いろんなものが原因になりうるだろう。
それを無くすことが本当の意味での再発防止なのだ。
人が健康を犠牲にして働かなくても良い労働環境を実現しなくてはいけないのである。
時間という表面的な数字に注目するのではなく、
本当の意味で社員にかかるストレスを、社員と会社や組織が協力して減らして行く必要がある。

また、人が健康を犠牲にする職場環境を禁止するルールが必要ではないでしょうか?
本来守られなくてはいけない安全配慮義務は形骸化し、
社労士がちょっと頭をひねることで、責任を逃れることがまかり通っています。
それがブログに書かれたり、書籍になって本屋にならんでいるのが、今の世の中です。
こんな世の中では、会社が社員の健康のために協力をするなんてのは夢物語です。
もう少し、行政の動きやすい法整備が必要ではないでしょうか?

一億総活躍社会、働き方改革、その参加者に
過労やパワハラ、業務上のストレスで働けなくなった人はいるのでしょうか。
私や高橋まつりさんのように苦しむ人々はいつまでも、忘れ去られた国民でいるのでしょうか。
私は安倍政権の掲げる働き方改革に大きな期待を寄せていますが、
まるで忘れ去られているような無力感を感じます。
この問題に世の中はあまりに無関心です。
今回の問題ですこしでもこの問題が注目されることを願います。

我々に今できること

高橋まつりさんがどれだけ無念だったか、非常に心が痛む。
高橋まつりさんが手に入れることができた幸せが、
この先の未来から消えてしまったことに深い悲しみを覚える。

高橋まつりさんの母が書いた手記を読ませていただいた。
「あの日から私の時は止まり、未来も希望も失われてしまいました」
この言葉から、どれだけ深い悲しみの中にいるか、伝わってきます。

高橋まつりさんは母子家庭で母親に楽をさせたいという思いで努力を重ねて来られたそうです。
私には想像のできない努力と苦しみの先に手に入れたものがあったと思います。
それが、こういう形で無碍にされたことに怒りを覚えます。 努力の結果が何より大切にしてきた母親に深い悲しみを残すことであってはいけません。

今回の事件から学ぶことはもっと沢山有るはずです。
我々は何が起こっていたのか知り、次の悲しみを繰り返さないために、
考え、努力し、改善する必要があります。

たしかに、世の中はこの問題にまだまだ無関心です。
しかし、諦めてはいけません。
私自身も仕事のために健康を犠牲にしました。いまも闘病しています。
私の友人も過労で健康を奪われました。長い闘病生活の中にいます。
決して他人事ではなく、同じことは世の中のあらゆる場所で起きています。
それがまるで存在しないように扱われていることを、まず一人一人が改めなくてはいけません。
目の前の問題を認め、解決するためにはどうしたらいいのか、
我々一人一人が努力する必要があるのです。