入社一年目、NTTアドバンステクノロジでの出来事

入社一年目:2012年

入社一年目、NTTアドバンステクノロジでの出来事について振り返ります。

4月:新入社員向けの研修

同期と共に社会人としてのマナーを身につけるべく研修を受けていく期間だった。
この時ようやく周りの配属などがわかってくるが、あまり技術に強くない人が
私の希望していたシステム開発系の部署へ配属されていたことを目の当たりにする。
文系理系を差別しているわけではないが、
技術者として苦しい思いをしながら技術を身に付けてきたことが、
ぞんざいに扱われているような印象を受けた。
技術力に強みを持つ会社という印象を持っていただけに、この扱いには衝撃を受けた。

技術を持つ人が多くいるがために、地位はあまり高くないのだろうと感じた。

5月から8月:OJT前篇

新人研修の期間を終えて、配属部署でのOJTが主な内容であった。
私はネットワークを専門としている部署に配属され、
まずは任された仕事を真面目にやっていこうと目の前の課題に取り組むことにした。
この当時、私を苦しませたのは仕事上必要になる資格をプライベートの時間で
学習しなくてはならないことである。
もともと学生時代からネットワークの専門技術を持つ学生は少ないため、
客先に配属する前のOJTの期間で基礎的な知識を詰め込むことがこの部署の方針らしかった。
先輩社員に資格勉強の進捗を見てもらったり、
簡単なフォローはしていただいていたが、
業務時間を学習に充てることができるわけもなく、
帰宅後深夜まで勉強をつづけなくてはならなかった。
もともとシステム開発を志している身としては、
せめて帰宅後だけはシステム開発の勉強をしたかった。
そんな気持ちを騙しながら、休日は丸一日、
平日は眠るまでの4時間、朝起きての2時間を勉強に充てていた。

新入社員の一日としてはそれほど珍しいこともないだろう。
この期間でどうにかCCNAとLPIClevel1を取得するが、心はかなり疲弊していた。
調子がわるいということは先輩社員や上司につたえていたが、
よくある5月病や一時的なものと扱われてしまい、
日に日に苦しくなるばかりであった。
8月の終わりごろになると、頭に文章がうまく入ってこないため、
資料を何度も読み直したり言われたことを細かくメモするようになった。
そうしないと、意味を理解できないし、思い出すことができないのだ。
上司に相談しても「気持ちを切り替えないとだめだ」などと
役に立たないアドバイスを貰うだけであった。
こんな状態で仕事を覚えることと資格勉強をつづけていたのだから、
かなりの無理をしていたのだと思う。
この時期は、まだまともに仕事ができるレベルの能力をのこしていた。

9月から11月:OJT中編

9月:調子は良くならない。理解も得られない

職場がかわり、よりお客様に近い場所で仕事をするようになった時期である。
仕事内容は守秘義務に該当するため詳しくは書けないが、
メモを取りながら、資料に何度も目を通しながら、
効率は悪いがなんとか仕事をしていた。
調子がおかしいことは上司にも相談していたが、なかなか理解は得られなかった。

10月:入社半年、助けを求めて

入社半年という節目の時期ということもあり、
入社一年目の社員で2日ほど合宿のような形で研修することがあった。
半年の成果報告と今後の目標設定である。
となりの芝は青くみえるというが、あのときほど青かったことはない。
本当に青いんじゃないだろうかと思うほどである。
同期の受けていたOJTはとても充実しており、
私が学生時代に苦労しながら身につけてきたことばかりだった。
同じ内容を私にやらせていれば、もっと良い成果が出せただろう。
そんな貴重な経験をOJTでできることは、正直に羨ましかった。
きっと私にはないものを彼らがもっていたのだろう。
入社前にシステム開発の仕事をさせるつもりはないと言ってくれていれば、
別の会社に行っていたのだが、悔やんでも悔やみきれない。

私の部署は詰め込み型の教育をしていることもあり、
同期と比較してかなり充実した学習の成果が出ていた。
ほとんどプライベートの時間を割いて得たものだが、誇らしいと思った。
ただし、どこか偽物のような空虚な誇らしさだったことを思い出す。

この研修の最終日に半年間の悩みを話せるような面談の場が設けられていた。
私は状況が変わらないようであれば、限界は近いだろうと判断し、
自分で抱え込むことをやめ、 「キャリアの方向性がずれており、異動させてほしい」と訴えた。
向こうも困っただろう、ただ私はそれ以上に困っていた。
はじめは上司や先輩社員のように
「一時的なもの」「考え方を切り替えなさい」
などと応えるばかりだったのだが、
涙ながらに訴える私を見て、切実なものだと伝わったのか、
ごまかすことを諦めたのか、
異動の希望を上司につたえるように勧められた。
そうすれば力になれるだろうということだった。

11月: 限界、目に見えておかしくなる

この頃になると、体調の悪さが目立ってくる。
どうにか仕事をこなしていたが、もはや限界に近かった。
記憶が散漫で集中も続かないため、
人とのコミュニケーションにはメモが欠かせなかった。
重要な約束を忘れていただけでなく、約束そのものを忘れるというレベルで
記憶が抜け落ちる状態だった。
一時的なものと高をくくっていたが、症状は悪くなるばかりで、
長期的に続くものだと理解する。
面談時に上司にひどく悩んでいること、異動させてほしい旨を伝える。
12月に上司数名と話す席を設けていただくこととなる。

今思えば、この時期に病院に行くべきだった。
まさか心を壊すとは思っていなかったし、
社会人1年目に心を壊すということは受け入れ難い現実だった。

もはや冷静な判断ができない状態だったのだろう。
他責に考えたくはないが、自分自身で通院しようと思える状態ではなかった。

もし新人の様子がおかしいと思ったら、通院するよう命令してあげてほしい。
うつ病になるタイプの人間は自分から通院することができない。
普通考えられないようなレベルまで無理をするし、
自分からギブアップを言うことができないから、
徹底的に自分を追い詰める。
早めに無理をする状態から救ってあげないと、
私のように治療に何年もかけることとなる。
難しいと思うが、外からタオルを投げてあげてほしい。
本人にも会社にも大きな負担にならないうちに対処することが最善だと私は思う。
このとき、誰かが助けてくれていたら、
私の人生はもっと良いものになっていたと思うし、
会社にも貢献できた。迷惑をかけたり辞めたりすることもなかっただろう。
私のような不幸が世の中の何処かで繰り返さないことを願う。

12月から3月:OJT後編

12月:一本の糸、大切な約束

忘年会の前だった。30分ほど時間を頂き、長の役職を持つ上司と数名で私の異動について話した。
衝撃だったのは最初の一声「楽がしたいのか?」という言葉は今でも覚えている。
私の訴えがどのように聞こえていたのか、ひどく絶望した。
鬱の苦しみから逃れることと、楽をしたいというのは違う。
ただ、当時は鬱という診断はもらっておらず、こう思われるのも無理はないのかもしれない。
私自身もまだ病気とは考えていなかった。
根性がないから続けられない、そういうふうに思われていたのだろう。
話し合いの中で理解は得られなかった。私自身も根性がないというレッテルを貼られるわけには行かなかった。
そこで、この部署で限界まで頑張ることを約束した。
ただし、体調を崩したり、本当に限界が来たら異動させてほしいということを約束した。

この約束は結局守られることはなかった。
私の立場から見えることはなかったが、守るための努力がされていたのだと信じたい。

そして、この約束は私を追い詰めた。
少なくとも、あと数ヶ月という時間でこの問題が解決することはなくなったのだ。
会社の理解がない以上、短い期間での解決は絶望的であるし、
最低限の何かあった場合の責任を会社に託すことしか、当時の私にはできなかった。
しかし、あのときの私にはそれ以上の確かな安心が必要だったのも事実である。
あと何年も、気がおかしくなるまで苦しみが続くというのは、私をより深刻に絶望させた。

どれだけおかしな状態になっていたかを表すエピソードがある。
会議で仕事の中間報告をする機会があったのだが、スムーズに話せないのだ。
緊張で頭が真っ白になるというが、そんなレベルではない。
思考ができなくなるのだ。
言葉に詰まるだけならまだマシで、黙ってしまう。
自分の書いた資料を理解できない。
本当にひどいものだった。
周囲の感想は一言「あんなに優秀だった人がどうして?」だ。
私も知りたかった。
うつ病とは報告や発表が得意な人をそこまで変えてしまう。
安心してほしい、永遠にではない。
あれ以上にひどい報告はそれまでもそれからもやったことはない。
治療すればすぐに前のように話せるし、
すこし気持ちを切り替えて挑むだけでもそこまで悪いことにはならない。

うつ病について勘違いしてほしくないことが一つだけあって、
それはうつ病になると頭の回転が遅くなるということだ。
この言葉自体はあっているが、勘違いしてほしくないのは、
それがずっと続くわけではないということだ。
最悪の状態ではたしかに頭は鳥か爬虫類のそれのように、考えられなくなってしまう。
回転が遅いというよりも、ロックがかかって回らないという感覚だ。

たしかに、うつ病の最悪の状態では頭の回転は遅い。
だが、すこし症状が改善するだけで前のように考えられるようになる。
うつ病になった人は昔のような頭のキレは戻らないと、
多くの人が考えているようである。
私の経験からすると、これはまったくの誤りだ。
最悪の状態から抜ければ、1ヶ月ほどで症状はなくなる。
思考のキレや集中力は以前と変わらないほどに回復する。これが事実である。

安心してほしい、うつ病は治る病気である。

たしかに治療は長く続く、でも症状はほんの短い期間だけだ。
再発にさえ気をつけていれば、その期間昔と同じように暮らすことだってできるのだ。

うつ病に対する間違った認識や偏見があって、それがうつ病から立ち直ろうとする人の負担になっている。
うつ病の再発や、回復を阻害する要因のひとつは間違いなくそれだ。
前のように戻れないのではないか、そういう不安がうつ病をより深刻にする。
とくに、周囲がそう考えている場合にその負担は大きい。
考えてみてもほしい、健常な人が次の日からうつ病のひとと同等の扱いを受けるようになったとしよう。
仕事は軽減され、残業は禁止される。周りが忙しそうにしているのに自分は暇だ。
簡単な仕事しか任せられない。
おそらく、深く悩むだろう。リストラされると思うのではないだろうか。
場合によってはうつ病になるだろう。
同じことが、うつ病から立ち直ろうとしている人にも起きるのである。
うつ病が再発するというのは至極当然のはなしである。
業務を軽減することは薬にもなるが、毒にもなることを忘れないでほしい。
それも健常な人をうつ病にするほどの強力な毒になる。

うつ病のひとを復職させるときは、本人の体調を慎重に見て業務量を調整する必要がある。
むやみに軽減しても、それが負担になる場合もあるのだ。
多くの場合、これは忘れられている。
(あえて気づかないふりをしているのかもしれない。そうやってうつ切りをするという手口がある)
「体調を慎重に見て業務量を調整する」この言葉の意味を勘違いしないでほしい。

1月-2月:異常だと言えない異常な日々

1月は私の仕事のひとつの節目となっていたので多忙な日々が続く、どうにか仕事をしていた。
上司に相談したからと言って、体調が良くなるわけではないのだ。
問題は解決していないし、絶望と苦しみは続くのだ。
このころは睡眠もおかしくなってきていた。 疲れが取れないというよりも眠気が取れないのだ。
いくら眠っても眠気が取れず、日中のあり得ないシーンで気絶するように眠ることもあった。

LPIC Level2を取得したのもこの時期だ。
眠気とか体調とか、おかしくなっているところ、まさしく満身創痍で勉強した。
正直、かなり無理をしていたので、予定を2週間先延ばしにして受験した。
うつ病になることは予定にはなかったのだ。
それでも予定どおりに進めていこうとする周囲の状況は、この会社の危険な文化だと感じた。
異常が起きたときに異常だと言えないことは、問題をより深刻な状況に向かわせる。
この会社で私はそういう雰囲気を感じた。

丁度この時期に4月から大阪に異動となることが伝えられる。
もともと、そういう予定でもあった。
しかし、明らかに体調のおかしい社員に転勤を命じるのか、気にしていた。
ただそこは予定を大事にする会社、変更はなかった。
当時の私は大阪に異動することに否定的な気持ちはなかったが、
今思えば、あの状態の社員を転勤を伴う異動をさせることはあり得ない判断だった。
転勤を伴う異動は本人が気にしていなくても、大きなストレスになるのだ。

噂なので事実か知らないが、当時、東京に残るという可能性もあったらしい。
ある上司が反対したため、それは叶わなかったらしいが、
東京の仕事はサーバに近い内容であったし、もしもこのときに東京に残れていたら、
悩むことも少なく、もっと良い結果になっていただろう。
体調を崩している私を部下に持ちたくないという気持ちも、理解できる。

3月:引っ越しというのはとても大変

大阪の配属がどうなるのか2月末までわからなかったということもあり、
3月の忙しい時期に、引越し先をさがすことになる。
ほとんど限界のような体調で、休日を潰して引っ越しの準備をした。
休む時間など無かったことは言うまでもない。
これを禁止する法律がないのだから仕方ない。労働者は弱いのだ。

ストレスが免疫力を低下させるというのは、どうやら本当のことのようで、
この頃から風邪気味のような状態が長期的に続く。
熱はないのでマスクをして出勤していた。
社会人になってからこれまで、風邪や腹痛で2回仕事を休んでいる。
土日に重なったこともあって、半休や1日の休みで済んだのだは不幸中の幸いだった。
中学から大学まで風邪にすら罹らなかった健康人間でもこれである。

健康というものは社員が守り、会社が消耗する。それでいいのか

この会社に入って上司から
「会社は社員の健康には責任を持たないから、自分の健康は自分で守るものだ」
ということを教えられたが、仕事のストレスがここまでになると
個人で対応することは不可能ではないかなと思う。
社員が言うと立派だが、上司や会社がこれを言うのはあまりに無責任な言葉である。

今の世の中、これが普通なのかもしれないが、
仕事のストレスが社員に与える影響にはみんな気づき始めてきている。
これからの仕事、会社の在り方は、
社員の健康は会社と社員が協力して守るということが、
求められていくのではないだろうか?

そうしていかなければ、社員の健康を会社が消耗していくことが許されてしまう。
医療保険制度はギリギリのところで運営されており、
人を消耗することのツケは社会全体に返ってくる。
個人の問題ではなく世の中全体の課題として、取り組む必要のある問題である。