入社二年目、NTTアドバンステクノロジでの出来事

2013年、頑張るのは限界

この年わたしは、きちんとした形で体調を壊すことになる。
うつ病という診断を受け、無理をして耐えることを諦めたターニングポイントの年でもある。
会社を信じて無理をしても、どうにもならないということを実感し、諦めるまでの過程ということになる。

4月から7月:新しい仕事、覚えよう、たとえ苦しくても

限界まで頑張ると約束したのだから、たとえ精神がおかしくなろうとも働かなくてはならない。
昨年の上司と約束したことは言ってしまえばそういうことだ。
私は仕事に専念し、体調のことは上司を信頼し、任せることにしたのだから、
どんなに苦しくとも、全力で仕事に取り組む責任がわたしにはあった。

4月からは、新しい仕事先、新しい環境で働くことになる。
そういう場所では、覚えるところから仕事が始まる。
まず聞くところから、慣れるところから、例にもれず私もそうだった。
ただ、なかなか難しいのが別の会社の人間に聞かないといけないということ
もともと私は人に聞くことが得意ではない。
独学で色んなことを覚えてきたので、聞くより先に調べてしまう。
いい事なのではと思うだろうがそうではない。
特にネットワークのことになると、世の中にそんなに情報は出ていない。
断片的な情報をかき集めて、組み立てていってようやく
その環境のネットワークに合致した知識になるのだ。

私は調べるのが苦にならない性格だったので、これが裏目に出てしまった。
必要最低限の質問しかしないので、手はかからないが
一つ一つ丁寧に理解しようとするので、スピードが遅いのだ。
当時の仕事は単純作業、そういう仕事の仕方は求められていなかった。

こうなってしまった理由はもう一つあって、私が質問攻めにしたかった先輩(別会社)には
もう一人、部下がついていた。年下ではあるが私と同じ2年目で女性、
それも先輩と同じ会社の、まぁ先輩にとっては正当な後輩にあたる。
そうなってしまうと、先輩はその後輩にかかりっきりになる。
自然に私は蚊帳の外だった。
ももう少し食らいつくべきだったが、
字が読めなくなるほど無理をしていた時期である。
目の前の仕事で手一杯。そんな余力、どこにも残っていなかった。

もっと言えば、当時の私に客先で人間関係を構築していけるほどの
余力はもう残っていなかったのである。
当時は異動や引っ越し、その他度重なるストレスのため免疫はガタガタで、
定期的に軽めの風邪を繰り返していた。
どうしてタオルを投げ入れないのか、理解できないレベルで
おかしなことになっていた。
個人的には社員の状態を管理できていなかったのではないかと今も思うし、
当時の私もそう感じていた。

それでも、私は上司を信頼すると約束したのだから、
黙々と働くことしか許されないのだった。

8月から10月:貯まるフラストレーション、うまく動かない頭

4ヶ月やってきて仕事はどうにか覚えてきたが、相変わらず精神は限界だった。
特にこの部署、ナレッジがとにかく属人化されている。
資料なんてものがほとんど存在しない。
ほとんど協力会社に委託してるから、派遣された人間は自分の知識を共有せず、
保身に徹するという戦略になるためではないだろうか、
本当のところは分からないがとにかく資料がないし、有っても質が悪い

当時の仕事も無理やり変換されたPDFでなければ、
資料を読み込んでスクリプトで自動化するような形にしたかった。
空いた時間で途中までやったが、部分的にしかてきなかったのが残念だ。
私の力不足もあるが、とにかく環境がひどかった。

統合開発環境どころかvimすらない。
ネットワークを扱う現場ですので、それもそのはず
もともとコーディングを行える環境ではないのです。
細い帯域とセレロン程度のCPU、1Gあるかないかのメモリで開発するのは限界があります。

それでも、大量のファイルを扱う際はけっこう重宝された。
これまでの人の目で行うチェックでは、効率が悪すぎた。

これからの時代、インフラとソフトウェアの境界は
どんどん曖昧なものになって行くに違いないと考えた。
(今でも、この考えは間違っていないと思う。
あと数年で世間でも、そういう考えが当たり前になるだろう。
ネットワーク業界はそれまで非効率なシステムを残しすぎていた。)
私はこの会社の未来のために、ソフトウェアのノウハウを
インフラに展開しようと模索するようになった。
これは、決して珍しい話ではない。
特にネットワーク業界はソフトウェアのように、先進的な技術を取り入れて来なかった。
近年DevOpsというカテゴリが確立し、軽量なインフラが見直され始めてようやく、
インフラを自動化することに価値が生まれた。
象のように重い開発体制が主流のネットワーク業界が、
この価値に気づくことは非常に難しかった。
大企業病に侵されてみんな頭が硬い事なかれ主義だしね…)

当時はアジャイルが浸透してきた頃で、 私個人は反復的な開発スタイルとその自動化はインフラ領域でも有用な技術だと感じていた。
今現在の技術トレンドを見ても、私の想いは間違っていなかったと我ながら感心する。

そんなときに丁度良く、若手メンバーで業務改善をしていこうという 取り組みに参加することになった。
私は大阪では一番若かったので下っ端です。
議論の大局には意見せず、見守るスタンスで参加するつもりでした。
一応、私には改善の一案としてインフラ領域にソフトのノウハウを
展開するというもくろみがありましたので、それに関連する提案をしました。

それは自動化ツールの開発方法に標準を作るというものです。
ライトウェイトなコーディング規約みたいなイメージです。
社内に色んな自動化ツールは転がっていたのですが、
使い方がわからなかったり、動かなかったり、
直そうにもメンテできなかったり、いろんな問題がありました。

そのはずです。彼らはネットワークエンジニア、
体系的にソフトウェアを作るという考えがそもそもなかったのです。
これでは、再利用というソフトウェアの最大の強みを活かすことができません。
再利用できるから反復でき、反復できるから自動化を実現できるのです。
このままでは時代の流れについていけるだけの人材が育たない。
まずはソフトウェアに品質を定義する。
私の案の狙いはそこにあった。

まぁでも、採用されるとは思っていなかった。
私は下っ端です。こういうのは年長者がまとめていくものだし。
そもそも、私以外はこの案のメリットをなかなか理解できていない。
なぜなら彼らもまたネットワークエンジニアだからです。

そういう理解を得られない中で、物事を進めてもうまくは行かない。
チームというものに必要なことは、目的やビジョンを全員が共有することだ。
それがどんなに正しく、優れていたとしてもチームがまとまらないのであれば、
無理に推し進めてはいけない。
当時の私もその心得は忘れず。他の提案に期待をしていました。

しかし、この期待は悪い意味で裏切られます。
他の案は贔屓目に見ても出来が悪かったのです。
いい部分もありました。決め方がいい加減だったのです。
多数決ではありませんが、多数決のようなものを
論理的に補強して多数決に見えないようにする。
そんなやり方で決めていったのでだ。
いいことではありませんが、チームが一つになるには必要な時もある。
(私がチームリーダーならそんなことはさせないし、
そんなことをするくらいなら不名誉な撤退を選択する
名誉の進行はデスマーチにつながるからだ。
上層部は満足かもしれないが、インパール作戦のようになってからでは遅い。
人が死んだり、若手が潰れることに何の価値があるのか?)

私は私で家に帰って自分の案をやればいい、そんなつもりでした。
私は自分の案を独りよがりと理解していましたし、
独りよがりはひとりでやるのが一番いいのです。

採用されようとしてる案は酷いものでした。
たしかネットワーク系の勉強会をする。というようなものだったと思います。
そもそも業務改善ではないんじゃないか、みんなが思っていたはずです。
それでも同調圧力という見えない力のおかげで、ことは順調に運んでいました。
トム・デマルコの言うところの魚の腐った臭いが、
そのプロジェクトから出ていた。

やむを得ず、私は軌道修正に乗り出した。
プロジェクトは非常に危険な状態で、
目的やビジョンが定まっていなかった。
各々が勝手に勉強会という曖昧な取り組みに理想を描いて、投票したのだから当然といえば当然のこと。
業務改善という大前提を満たせていないのも、これが原因だった。

こういうプロジェクトで何が起こるかというと、
目的がないため行き先を見失い、迷子になる。
八甲田のようなデスマーチに突き進み、被害だけが増える。
時間は成果を出すことそのものにではなく、
成果っぽいものを成果に見せる帳尻合わせに使われ、
あとには無くても良かったろくでもないものが残ることになる。

そんなものに付き合わされるのはまっぴらごめんだ。
空いた時間はシステム開発の勉強に使いたいのに、
こんな無駄なことのために時間を持っていかれるのは苦痛でしかない。

こうなれば嫌われ役を引き受けるしかないと腹を括った。
改善される業務が不明確などを指摘し、案を引き戻した。

再度改善テーマを整理し、目的やビジョンを明確にしていくしかなかったのだ。
面倒だが、チームにとって目的はそれだけ重要なものだと理解してほしい。
目的が定まっていないテーマなんかすすめるくらいなら、
メンバーの共感が得られないが、目的は明確になっている私の案を進めたほうがマシなのだ。

モチベーションが上がらないのは気の毒ではあるが、
成果は無駄にならないし、成果報告に頭を抱える時間は少なくて済む。
無駄なことをして、それを成果に見せるために頭を抱えるよりもずっとマシということだ。

そして、結局私の案が改善のテーマになってしまった。
再度、テーマを決める中でどのような業務を改善したいのか
明確にするように話し合いましたが、
まともに整理できたのは私の案だけでした。
正しくふるいにかけたら、正しいものしか残らないのは必然ではある。

私が皆の理解を得やすい案を出すというのも手でしたが、
そんなことをすると私がプロジェクトの中心になってしまいます。
私にそんな余力はありませんし、ソフトウェアの標準を決めることが
最も重要という認識を持ちながら、他の案を出すことはできませんでした。

さて、この時期はこんなことをしていました。
基本的には1日数時間、本来の業務にプラスアルファとしてやっていたのですが、
このグダグダしたやり方は非常に大きなフラストレーションでした。

私以外の人間は、とても本気で仕事をしているようには見えませんでした。
主体性というのが無いように思えたのです。
和を壊さないように進めていたら、誰かが解決してくれる。
そんな雰囲気があったように思います。
どうして、理系の大卒院卒がこれだけ揃っているのに
こんなことになるのか、私には最後まで理解できませんでした。

11月から4月:うつ病、仕事を休もう

若手の活動の方向性がようやく見えてきた頃、私は異動の申し出をします。
他と比較しても私のソフトウェア技術は会社にとって有益です。
(現在でも十分にプロとして通用するレベルの技術がありました)
このまま、ネットワークをやっていても健康の問題は悪化するだけです。
降格だろうとなんだろうと、甘んじて受け入れる。
そういう覚悟を決めて、その年の育成計画に健康状態の話をはっきりと書きました。
内容は非常に刺激的なもので、健康状態の問題が出ていて、このままだと自殺する可能性もありうる。
と、書きました。誇張ではありません。
当時私は本気で自殺も考えていました。
通勤の地下鉄に飛び込むのも時間の問題というような状態でした。
流石に異動させるだろうと思いました。
会社には安全配慮義務というものもあります。
少なくとも、産業医との面談くらいはあるだろうと考えていました。

新卒で会社を選ぶときに大切なこと

はじめに

私は新卒でNTT-ATという会社に入社したのだが、それは贔屓目に見ても大失敗だった。
私の失敗を今の若者たちに繰り返してほしくはない。
そういう気持ちでこの記事を書こうと決心した。
私が考える理想の生き方と、どうしたらそういう生き方を許してくれる会社と出会えるのか
今まで苦しみ抜いて考えて得られた成果を、今から就職活動を始める若者たちへ伝えることができたらと思う。
幸い、今はそういう会社で仕事ができている。この業界では有名な会社だ。
これまで苦しいことはあったが、今の会社では良い人達と仕事ができている
挑戦もできるし、スキルがとてつもない速さで身につく、
そしてなにより、それを会社が求めてくれる。
今の幸福を多くの若者達に早い段階で味わってほしい。
私が、苦しい中でも諦めずに考え、ようやく得た知見を若者たちに伝えたい。

羨ましいことに今の就職市場は売り手市場だ。
そういう時代にこそ、自分の考えで会社を選ぶことができる。
最初の会社というのはとても大切だ。
だからこそ、よく考え、目先の利益を優先せずに本当に価値のある会社に入社してほしい。
そして私にできなかった人生を歩んでほしい。

私は最初の会社で失敗してしまったことで、うつ病になり、多くの代償を支払った。
結婚して子供を持ち、家庭を築くようなことは今からではなかなか難しい。
もしそういうことをしようとすると、精神的負荷に耐えられないだろう。
仕事に打ち込むことが、今の精一杯である。

今の若者たちは未来を担う大事な存在である。
その若者の子どもたちも当然、かけがえのないものに違いない。
だからこそ、そういう代償を払ってほしくはないというのが私の願いである。

仕事に生きる喜びを見つけよ

よくある言い回しに人間を二種類に分けるというのがある。
仕事に対する価値観も大きく二種類に分けることができる。
ひとつの価値観は「人生において仕事より大切なものがある」という考え方
そしてももう一つが「人生において仕事よりも大切なものなどない」という考え方
前者は人が仕事を辞めるときに口に出し、後者は人が仕事に就くとき(例えば面接)に口に出すが、
私は仕事を辞めるときも仕事に就くときも後者を力説し、今もそれを信じている。

今の若者たちには私が信じる「人生で最も大切なことを仕事にする」ということを伝えたい。

私の最も大切なことというのはITのスペシャリストになることなのだが、
きっと今の若者にも、夢とか目標があるハズである。
そして気づいていると思うが、多くの場合それを仕事にすることができなければ叶うことはない。
アーティストやスポーツ選手は確かに途中で諦めるということもあるだろうが、人の夢というのは人の数だけあって良い。
会計士のようなつまらない仕事に対して夢を抱くことは恥ずかしいことではない。
私はプログラミングに夢をいだき、カッコ悪いけれど、それを仕事にしても良いのだ。

これからの時代はそういう生き方こそ求められるようになる。
なぜなら、これからの時代は情熱がないと生きて行けないからである。

現代社会はすでにものにあふれている。AIが仕事を奪うという話もある。
これからの未来、生きるために仕事をするという生き方はなくなると私は考えている。
AIは確かに仕事を奪うだろう。
特にマニュアル化できるような単純労働がAIに置き換わるのはそう遠くない話だと思う。
しかし、絶対にAIに真似ができない仕事がある。
よく私はAIに置き換えることのできる仕事とそうでない仕事を説明するときに医療の話をする。
健康診断や病気の診断はAIに置き換えることができる。
しかし、新しい病の発見、新しい治療方法の模索は絶対にAIに置き換えることはできない。
今後の社会では新しい何かを作り上げる仕事への付加価値が益々高くなるだろうと予測している。
AIはそれを真似することができない
それに、AIや機械学習の論文は多くが公開されているため、簡単に真似ができるというのもある。
多くの企業に真似できるということは、競争が激化し薄利多売になるということだ。
半端な仕事をしている弁護士や医師は危うい

AIに新しい仕事を教えることは人間にしかできない。
将来、人はより新しい、クリエイティブな仕事に頭を集中させることになる。
たとえば、新しい治療法の発見だったり、新しい法律にたいする議論であったり。
それには必ず高度な専門性とそれを身につける情熱が必要なのである。

人間に許されるのは世の中に前例のないものを作り上げることだけという時代は残酷なほどに合理的にも見える。
夢に向かうための本を読んだり、議論したりすることにひとは人生を集中させることになるだろう。
決して不幸なことではない。不幸なのは中途半端に夢を捨ててしまった人々である。
心の底から夢を追う人と会社の命令で夢を押し付けられた人ではポテンシャルが違う。
競争の中で無理を強いられることになる。
反面、情熱を持てる人材は高い市場価値を持つことになる。

今の若者達にはそういう人材になってほしい。

そのために今自分が持っている夢を安々と捨てないでほしい
現在高い地位に有る老害の時代には夢は捨てるものであったかもしれない。
それはマニュアル化した単純労働を人間が行う必要があったためである。
しかし、これからはそういう時代ではない。そういう働き方は淘汰される時代である。

今の夢や情熱を仕事に繋げれるよう努力を惜しまない生き方を貫いてほしい。
その生き方は必ず理解される日が来る。

無意味な苦しみと洗脳から逃げよ

私が新卒で入社したNTT-ATという会社では、少なくとも私に対しては仕事の適性を無視した配属が行われていた。
また、それに対して上司からは「諦めろ」という説得と洗脳が行われていた。
そういう不合理で無意味な苦しみを野放しにする会社で仕事をしてはいけない。

これは私の3年間の忍耐の末、出た結論である。詳しくは以前の記事を読んでほしい
決してなんの根拠もなくこれを言っているわけではないと理解するはずだ。

社員をうつ病にしておいてなんの対策もできない会社というのは多い
NTT-ATでは配属部署で起きていたパワハラのような状態を放置し、部署異動という対策を講じることができなかった。
これには様々な事情があると思うが、その一番の原因は風通しの悪さにある。
柔軟で円滑なコミニケーションが無いということは、組織内での人員異動も柔軟に行えていない場合が多い
特に、うつ病という緊急性の高い状態になった時、その柔軟性はすぐに発揮されないといけないのだが、
風通しの悪い会社ではそうしたことはできない。
長い歴史の中で、人事権が乱用され、完全に会社のものになってしまっていることもある。
そうした場合、根拠のない軋轢のために、柔軟な対応が行われず、社員の健康状態が犠牲になることも多い。

最終的に、犠牲になるのは社員の健康なのである。
うつ病という病気は恐ろしい病気で、私でも治療には2年近くかかった。
多くの人は3年5年と治療を続けるそうだ。今の若者達にそうした時間の使い方をしてほしくはない。
風通しの悪さなど組織上の問題を抱えている会社は多く、その問題を社員に押しつけているのが現状である。
そうした会社に新卒で入社すると、無理を強いられる可能性が高い。
私はそういう状態になるくらいなら、転職したほうが良いと考える。
なぜなら、うつ病になったとき会社はまったく救ってはくれない。
ひどいところだと鬱切りが行われる場合もある。

そういう理不尽を当たり前だと、多くの社員が受け入れてる
「諦めろ」と洗脳のように言われてきた結果である。 理不尽には「おかしい」と言える会社こそ、あるべき姿だ。
そうでなければ時代の変化に対応できない
しかし、「おかしい」と言ってもそれを受け入れない会社もある。

その原因は私の経験では当事者意識の欠如にあると考えている。
わかりやすく言うと事なかれ主義のもっとひどいやつである。
「会社が失敗しようと、若手がうつ病になろうと自分には関係ない 」 そう考えている人間が多数を占めていると、何を言っても暖簾に腕押しである。

彼らは会社の状態が悪くなっても自分は安泰だと考えている。
仕事での成功が自分の成功だと考えられないのである。
私の以前いた会社は子会社でなおかつ役職者の殆どが本体から出向してきた人間である
事なかれ主義が悪化してしまう原因は会社の体質そのものにあったのかもしれない
(ここ文章は、私の憶測が多分に含まれているので、特定の会社の実態だと誤解しないでほしい
事実はある会社で私がそう感じたという部分だけである
断言していないことを読み手は注意してほしい)

言いたいのは会社で疲弊するくらいなら、辞めてしまったほうがずっとマシである。 ということ 今の時代、第二新卒を欲しがる会社は多い、過小評価されるリスクもない。
「仕事を教えてもらったのに気が引ける」なんて思う必要はない。
それよりもそのやり方は今の時代には通用しないと会社に教えることのほうが会社の利益である。
若者を使い捨てても許されるような時代ではないということを
会社に教えることこそが最後の恩返しとも言えるだろう
会社に対して不都合なことを指摘できる社員は貴重だ

将来を背負う若者たちをうつ病で潰してしまうような会社は
世の中に対して損失を出していると言っても過言ではない。
そういう会社は効率が悪く、ゆくゆくは淘汰される運命にある。

おすすめなのは、1年ぐらい仕事のやり方だけ覚えて
なるべく資格を取ってからが良い。
転職市場では努力できる人間だと評価されるだろう。

常に片手に転職切符を持て

シャープや東芝東京電力、安泰と言われていた大企業が傾くことは珍しいことではなくなった 。 人員削減、リストラのニュースはもはや日常になってしまった。 今の時代、会社にぶら下がろうとすることはリスクでしかない 。 ぶら下がっていると筋力が落ち、自分の力で歩けなくなるのだ。
だから常に自分がいま転職したとすると、どのような評価を受けるか考える癖をつけてほしい

会社が傾いたり、会社に切り捨てられる状況に備えることが、最もリスクが少ない
なにも転職しろと言っているわけではない。むしろ、転職できる人材を会社はリストラしない

会社が切り捨てたいのは他社も欲しがらないような人材である。
例えば戦略に失敗して勝ち目の無い事業、縮小したい事業に専門性を持つ社員や
すでに時代遅れになった技術しか持たない技術者なんかである。 彼らは会社の荷物でしかないし、将来的に価値のある人材にも育てることができない
こういう人材になってはいけない

だれも好きでこんな状態になるわけではない、
会社に忠義を尽くした結果そうなるのだ。 配属先が希望しない部署であるというのは、それだけ不幸なことなのである。
やはり、キャリアの主導権は社員が持つべきである。
会社の失敗を社員が取るようなやり方はいびつだ。

では、どうしたら主導権を握れるか?
転職しかない。残念ながら大抵の会社の人事制度は社内政治の道具になっており、
正常に機能することは期待できない。異動でどうこうというのは、
かえって信頼してくれた人たちに迷惑がかかるかもしれない
(私の場合はそういう状況になってしまったので、注意してほしい
会社の薄情さを知るには貴重な機会だったので、
夢から覚めることができた彼らは幸福なのかもしれない)

転職は社員に取って唯一残された手段だ。
社員だって好きで転職するやつはいない。
私もそうだし、貴方もきっとそうだろう。

だからと言って、会社を信頼し、自分のキャリアに
とんでもない負債を抱えてしまうのはお人好しが過ぎる。
あなたは何度も会社が保身やただのプライドのために
社員を裏切る姿を目にしてきたはずである。
会社はあなたを助けてはくれない

だから貴方は常に自分の足で歩く準備をしておく必要がある。それが転職である。 貴方は無意味な配置転換や残業手当を与えないための昇進、
無謀な経営戦略と人員配置、そんな会社の失敗のために人生を犠牲にされないための一つの手段として
転職できる体制を作っておかなくてはいけない。

それは同時に会社の戦略の合理性を理解し、他社と比較することでもある。
今あなたはまだ若く、会社の経営に対して当事者意識をもてと言われても難しいと思う。
だからまずは自分自身の人生の当事者となって欲しい。
転職という手段を持つことは、人生の当事者として責任を持たということでもある。

その積み重ねが会社の戦略の誤りを指摘し、当事者として会社に尽くすことに繋がる。
あなたが本当に優秀な人材として社会の役に立ちたいのなら、
転職という手段は間違っていない。

電通新入社員自殺について、残業をなくせば良いという話ではない

原因はなにかということはとても大事

インフルエンザで頭が重い、吐き気がする。熱もある。なので生理痛の薬を飲んだ。
当然、インフルエンザは治らない。
物事には原因があり、原因に対して適切なアプローチを行わなければ、問題は解決しない。

これを因果論という。
物事には原因があり、それを変えれば結果も変わるという考え方である。
西洋医学や現代科学はこの因果論を前提にしている。

高橋まつりさんのような不幸を再び繰り返さないためには、
何が原因だったのか、「正しく」考える必要がある。

残業にばかり注目が集まり、大切なところが見えていない

さて、世の中には様々な事情があり、いろいろな人の都合やらなんやらで、
物事の原因がはっきりと見ないまま問題がうやむやになったりします。
(日本の仕事効率が悪いのはこういうところに原因があるんだろうなぁ…)
今回の電通の事件でも同じことが起きようとしているのではないかと、危惧しています。

2015年12月25日、電通の新入社員、高橋まつりさんがマンションから飛び降り、
自らの命を絶った。労働基準監督署はこれを過労死と認めた。

よく、この件で恋人と別れたことが原因だという人がいるが、これは大きな間違いである。
たしかに表面だけ見ればそのように映るが、人はその程度では死なない。
ましてや、何ヶ月も会ってないような恋人と別れた程度で、
人がたった数日の間に死を選ぶとは思えない。

おそらく、最後の最後まで心を支えていた一本の糸だったのだろう。
人は1つでも心を支えてくれるものがあれば、大抵の苦労は乗り越えることができる。
それが過労死ラインを超えたものであっても、耐えることができる。
そういう最後の希望が恋人だったのではないだろうか。
その恋人と別れたことで、彼女は現実に耐えることができなくなってしまったのだろう。

恋人との別れはただの引き金にすぎない。
恋人の存在自体は心の支えであり、もしその存在がなければ、
より早い時期に、より深刻な状況になっていただろう。

間違いなく自殺の要因は職場の環境にある。
労働基準監督署の判断は、長時間に及ぶ残業による過労死である。
私はこれをあまり良いとは思わない。
人間はそれほど単純ではない。これ以外の要因もあったはずである。

労基署は手続の都合上、証拠を揃えやすい残業時間を選択したそれだけだろう。
このせいで見えなくなってしまった大事な出来事があったはずである。

うつ病になった私の経験からすると、過労はたしかに原因の1つにはなるが、
これだけで人は死ぬものではない。
背景にはパワハラ等の理不尽があったのではないかと推測する。

残業をなくしただけで、今回のような問題が解決するとは到底思えないのである。
その中で残業だけに注目する今のやりかたは、原因を正しく捉えていないように映る。
このままでは、多くの被害者と遺族が願う、「再発の防止」に
真の意味で近づいていないのではないかと危惧している。

ストレスの性質

ストレスというのはなかなか難しいやつで、人によって大小が異なる。
マネジメントみたいな人を扱う人種は得てして、
人を均質なものとして扱いたがるが、これが上手く行った試しはない。

私はこれまで、同じ別人と出会ったことがない。
人間というのはひとりひとり違うというのは、
当たり前すぎるほど当たり前な話だろう。
この現実を無視して人を均質なものとして扱うと、ひどい失敗をすることになる。
例えば私のような人間は1週間黙黙とプログラミングすることは息抜きに近いが、
別の人はただただ苦痛でしかないだろう。
これを勘違いして、プログラミングを辛いと感じるタイプの人間に
1ヶ月黙黙とプログラミングさせていたら、その人は潰れてしまうだろう。
そんな失敗をしないために、人を扱う場合はその人の特性を深く理解しなければならない。
難しいことだが、だからこそマネジメントは難しいのだ。

労働基準監督署が手を出せないパワハラ

高橋まつりさんの場合、次のようなパワハラがあったと残されている。
「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」
「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」
「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」
「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」
これらのパワハラがどれだけ高橋まつりさんに惨めな思いをさせていたか、
今となっては知るすべはない。もし、本人が生きていたのなら、
これらの言葉で人を傷つけることが咎められていないことに、どんな思いを抱くのだろうか。

世の中では、当然いじめやパワハラは許されてはいけないものだ。
しかし、存在するはずなのに、それが咎められることは殆ど無い。
証拠が残りにくかったり、それを処罰する法律が無かったり、
証言をする人が見えない圧力に屈して隠れてしまったり。
なんというか、この手の問題は組織ぐるみで隠そうという流れがあって、
それが容易にできてしまう法整備がされているのである。

なので、労働基準監督署や行政は、それに屈してしまう。
今回、長時間労働による過労死という判断であって、
パワハラについて触れられていないのは、
パワーハラスメントとの因果関係を示す証拠を揃えることが難しく、
そして容易にその証拠を隠せてしまうということを
皆知っているからではないかと私個人は思うのである。

こういう事件はどういうわけか、人が死んでからしか対策が取られない。
本来、自殺をするような精神状態になった時点で、なにか対策が取られなければならない。
証拠を揃えにくかったりすると、こうした対策も行われない。
いつだったか、社労士が社員を精神的に追い詰めて退職させる方法を
ブログ記事に書いたことがあった。
大きな問題になったが、その記事の内容はどうだったのだろうか?
現状、社員を精神的に追い詰めることを咎めにくい法整備しかされていないことの
表れではないだろうか?
残念ながら人の健康は現在の労働環境では保護されているとは言い難い。

人が健康を犠牲にすることのない労働環境に向けて

私個人は今回の事件が過労死だけに注目されていることを残念に思う。
人が死ぬ要因は過労以外にも職場環境には存在するからだ。
それに人が死ぬことだけが労働環境の問題ではないのだ。
大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するという
有名なハインリッヒの法則はいつも人の記憶から忘れられている。
人の死は氷山の一角でしか無く、それをなくすためには、
そこに隠れた「健康を犠牲にしてでも働く体質」を改善しなくてはならない。
それはパワハラだったり、いじめだったり、企業の体質だったり、
いろんなものが原因になりうるだろう。
それを無くすことが本当の意味での再発防止なのだ。
人が健康を犠牲にして働かなくても良い労働環境を実現しなくてはいけないのである。
時間という表面的な数字に注目するのではなく、
本当の意味で社員にかかるストレスを、社員と会社や組織が協力して減らして行く必要がある。

また、人が健康を犠牲にする職場環境を禁止するルールが必要ではないでしょうか?
本来守られなくてはいけない安全配慮義務は形骸化し、
社労士がちょっと頭をひねることで、責任を逃れることがまかり通っています。
それがブログに書かれたり、書籍になって本屋にならんでいるのが、今の世の中です。
こんな世の中では、会社が社員の健康のために協力をするなんてのは夢物語です。
もう少し、行政の動きやすい法整備が必要ではないでしょうか?

一億総活躍社会、働き方改革、その参加者に
過労やパワハラ、業務上のストレスで働けなくなった人はいるのでしょうか。
私や高橋まつりさんのように苦しむ人々はいつまでも、忘れ去られた国民でいるのでしょうか。
私は安倍政権の掲げる働き方改革に大きな期待を寄せていますが、
まるで忘れ去られているような無力感を感じます。
この問題に世の中はあまりに無関心です。
今回の問題ですこしでもこの問題が注目されることを願います。

我々に今できること

高橋まつりさんがどれだけ無念だったか、非常に心が痛む。
高橋まつりさんが手に入れることができた幸せが、
この先の未来から消えてしまったことに深い悲しみを覚える。

高橋まつりさんの母が書いた手記を読ませていただいた。
「あの日から私の時は止まり、未来も希望も失われてしまいました」
この言葉から、どれだけ深い悲しみの中にいるか、伝わってきます。

高橋まつりさんは母子家庭で母親に楽をさせたいという思いで努力を重ねて来られたそうです。
私には想像のできない努力と苦しみの先に手に入れたものがあったと思います。
それが、こういう形で無碍にされたことに怒りを覚えます。 努力の結果が何より大切にしてきた母親に深い悲しみを残すことであってはいけません。

今回の事件から学ぶことはもっと沢山有るはずです。
我々は何が起こっていたのか知り、次の悲しみを繰り返さないために、
考え、努力し、改善する必要があります。

たしかに、世の中はこの問題にまだまだ無関心です。
しかし、諦めてはいけません。
私自身も仕事のために健康を犠牲にしました。いまも闘病しています。
私の友人も過労で健康を奪われました。長い闘病生活の中にいます。
決して他人事ではなく、同じことは世の中のあらゆる場所で起きています。
それがまるで存在しないように扱われていることを、まず一人一人が改めなくてはいけません。
目の前の問題を認め、解決するためにはどうしたらいいのか、
我々一人一人が努力する必要があるのです。

入社一年目、NTTアドバンステクノロジでの出来事

入社一年目:2012年

入社一年目、NTTアドバンステクノロジでの出来事について振り返ります。

4月:新入社員向けの研修

同期と共に社会人としてのマナーを身につけるべく研修を受けていく期間だった。
この時ようやく周りの配属などがわかってくるが、あまり技術に強くない人が
私の希望していたシステム開発系の部署へ配属されていたことを目の当たりにする。
文系理系を差別しているわけではないが、
技術者として苦しい思いをしながら技術を身に付けてきたことが、
ぞんざいに扱われているような印象を受けた。
技術力に強みを持つ会社という印象を持っていただけに、この扱いには衝撃を受けた。

技術を持つ人が多くいるがために、地位はあまり高くないのだろうと感じた。

5月から8月:OJT前篇

新人研修の期間を終えて、配属部署でのOJTが主な内容であった。
私はネットワークを専門としている部署に配属され、
まずは任された仕事を真面目にやっていこうと目の前の課題に取り組むことにした。
この当時、私を苦しませたのは仕事上必要になる資格をプライベートの時間で
学習しなくてはならないことである。
もともと学生時代からネットワークの専門技術を持つ学生は少ないため、
客先に配属する前のOJTの期間で基礎的な知識を詰め込むことがこの部署の方針らしかった。
先輩社員に資格勉強の進捗を見てもらったり、
簡単なフォローはしていただいていたが、
業務時間を学習に充てることができるわけもなく、
帰宅後深夜まで勉強をつづけなくてはならなかった。
もともとシステム開発を志している身としては、
せめて帰宅後だけはシステム開発の勉強をしたかった。
そんな気持ちを騙しながら、休日は丸一日、
平日は眠るまでの4時間、朝起きての2時間を勉強に充てていた。

新入社員の一日としてはそれほど珍しいこともないだろう。
この期間でどうにかCCNAとLPIClevel1を取得するが、心はかなり疲弊していた。
調子がわるいということは先輩社員や上司につたえていたが、
よくある5月病や一時的なものと扱われてしまい、
日に日に苦しくなるばかりであった。
8月の終わりごろになると、頭に文章がうまく入ってこないため、
資料を何度も読み直したり言われたことを細かくメモするようになった。
そうしないと、意味を理解できないし、思い出すことができないのだ。
上司に相談しても「気持ちを切り替えないとだめだ」などと
役に立たないアドバイスを貰うだけであった。
こんな状態で仕事を覚えることと資格勉強をつづけていたのだから、
かなりの無理をしていたのだと思う。
この時期は、まだまともに仕事ができるレベルの能力をのこしていた。

9月から11月:OJT中編

9月:調子は良くならない。理解も得られない

職場がかわり、よりお客様に近い場所で仕事をするようになった時期である。
仕事内容は守秘義務に該当するため詳しくは書けないが、
メモを取りながら、資料に何度も目を通しながら、
効率は悪いがなんとか仕事をしていた。
調子がおかしいことは上司にも相談していたが、なかなか理解は得られなかった。

10月:入社半年、助けを求めて

入社半年という節目の時期ということもあり、
入社一年目の社員で2日ほど合宿のような形で研修することがあった。
半年の成果報告と今後の目標設定である。
となりの芝は青くみえるというが、あのときほど青かったことはない。
本当に青いんじゃないだろうかと思うほどである。
同期の受けていたOJTはとても充実しており、
私が学生時代に苦労しながら身につけてきたことばかりだった。
同じ内容を私にやらせていれば、もっと良い成果が出せただろう。
そんな貴重な経験をOJTでできることは、正直に羨ましかった。
きっと私にはないものを彼らがもっていたのだろう。
入社前にシステム開発の仕事をさせるつもりはないと言ってくれていれば、
別の会社に行っていたのだが、悔やんでも悔やみきれない。

私の部署は詰め込み型の教育をしていることもあり、
同期と比較してかなり充実した学習の成果が出ていた。
ほとんどプライベートの時間を割いて得たものだが、誇らしいと思った。
ただし、どこか偽物のような空虚な誇らしさだったことを思い出す。

この研修の最終日に半年間の悩みを話せるような面談の場が設けられていた。
私は状況が変わらないようであれば、限界は近いだろうと判断し、
自分で抱え込むことをやめ、 「キャリアの方向性がずれており、異動させてほしい」と訴えた。
向こうも困っただろう、ただ私はそれ以上に困っていた。
はじめは上司や先輩社員のように
「一時的なもの」「考え方を切り替えなさい」
などと応えるばかりだったのだが、
涙ながらに訴える私を見て、切実なものだと伝わったのか、
ごまかすことを諦めたのか、
異動の希望を上司につたえるように勧められた。
そうすれば力になれるだろうということだった。

11月: 限界、目に見えておかしくなる

この頃になると、体調の悪さが目立ってくる。
どうにか仕事をこなしていたが、もはや限界に近かった。
記憶が散漫で集中も続かないため、
人とのコミュニケーションにはメモが欠かせなかった。
重要な約束を忘れていただけでなく、約束そのものを忘れるというレベルで
記憶が抜け落ちる状態だった。
一時的なものと高をくくっていたが、症状は悪くなるばかりで、
長期的に続くものだと理解する。
面談時に上司にひどく悩んでいること、異動させてほしい旨を伝える。
12月に上司数名と話す席を設けていただくこととなる。

今思えば、この時期に病院に行くべきだった。
まさか心を壊すとは思っていなかったし、
社会人1年目に心を壊すということは受け入れ難い現実だった。

もはや冷静な判断ができない状態だったのだろう。
他責に考えたくはないが、自分自身で通院しようと思える状態ではなかった。

もし新人の様子がおかしいと思ったら、通院するよう命令してあげてほしい。
うつ病になるタイプの人間は自分から通院することができない。
普通考えられないようなレベルまで無理をするし、
自分からギブアップを言うことができないから、
徹底的に自分を追い詰める。
早めに無理をする状態から救ってあげないと、
私のように治療に何年もかけることとなる。
難しいと思うが、外からタオルを投げてあげてほしい。
本人にも会社にも大きな負担にならないうちに対処することが最善だと私は思う。
このとき、誰かが助けてくれていたら、
私の人生はもっと良いものになっていたと思うし、
会社にも貢献できた。迷惑をかけたり辞めたりすることもなかっただろう。
私のような不幸が世の中の何処かで繰り返さないことを願う。

12月から3月:OJT後編

12月:一本の糸、大切な約束

忘年会の前だった。30分ほど時間を頂き、長の役職を持つ上司と数名で私の異動について話した。
衝撃だったのは最初の一声「楽がしたいのか?」という言葉は今でも覚えている。
私の訴えがどのように聞こえていたのか、ひどく絶望した。
鬱の苦しみから逃れることと、楽をしたいというのは違う。
ただ、当時は鬱という診断はもらっておらず、こう思われるのも無理はないのかもしれない。
私自身もまだ病気とは考えていなかった。
根性がないから続けられない、そういうふうに思われていたのだろう。
話し合いの中で理解は得られなかった。私自身も根性がないというレッテルを貼られるわけには行かなかった。
そこで、この部署で限界まで頑張ることを約束した。
ただし、体調を崩したり、本当に限界が来たら異動させてほしいということを約束した。

この約束は結局守られることはなかった。
私の立場から見えることはなかったが、守るための努力がされていたのだと信じたい。

そして、この約束は私を追い詰めた。
少なくとも、あと数ヶ月という時間でこの問題が解決することはなくなったのだ。
会社の理解がない以上、短い期間での解決は絶望的であるし、
最低限の何かあった場合の責任を会社に託すことしか、当時の私にはできなかった。
しかし、あのときの私にはそれ以上の確かな安心が必要だったのも事実である。
あと何年も、気がおかしくなるまで苦しみが続くというのは、私をより深刻に絶望させた。

どれだけおかしな状態になっていたかを表すエピソードがある。
会議で仕事の中間報告をする機会があったのだが、スムーズに話せないのだ。
緊張で頭が真っ白になるというが、そんなレベルではない。
思考ができなくなるのだ。
言葉に詰まるだけならまだマシで、黙ってしまう。
自分の書いた資料を理解できない。
本当にひどいものだった。
周囲の感想は一言「あんなに優秀だった人がどうして?」だ。
私も知りたかった。
うつ病とは報告や発表が得意な人をそこまで変えてしまう。
安心してほしい、永遠にではない。
あれ以上にひどい報告はそれまでもそれからもやったことはない。
治療すればすぐに前のように話せるし、
すこし気持ちを切り替えて挑むだけでもそこまで悪いことにはならない。

うつ病について勘違いしてほしくないことが一つだけあって、
それはうつ病になると頭の回転が遅くなるということだ。
この言葉自体はあっているが、勘違いしてほしくないのは、
それがずっと続くわけではないということだ。
最悪の状態ではたしかに頭は鳥か爬虫類のそれのように、考えられなくなってしまう。
回転が遅いというよりも、ロックがかかって回らないという感覚だ。

たしかに、うつ病の最悪の状態では頭の回転は遅い。
だが、すこし症状が改善するだけで前のように考えられるようになる。
うつ病になった人は昔のような頭のキレは戻らないと、
多くの人が考えているようである。
私の経験からすると、これはまったくの誤りだ。
最悪の状態から抜ければ、1ヶ月ほどで症状はなくなる。
思考のキレや集中力は以前と変わらないほどに回復する。これが事実である。

安心してほしい、うつ病は治る病気である。

たしかに治療は長く続く、でも症状はほんの短い期間だけだ。
再発にさえ気をつけていれば、その期間昔と同じように暮らすことだってできるのだ。

うつ病に対する間違った認識や偏見があって、それがうつ病から立ち直ろうとする人の負担になっている。
うつ病の再発や、回復を阻害する要因のひとつは間違いなくそれだ。
前のように戻れないのではないか、そういう不安がうつ病をより深刻にする。
とくに、周囲がそう考えている場合にその負担は大きい。
考えてみてもほしい、健常な人が次の日からうつ病のひとと同等の扱いを受けるようになったとしよう。
仕事は軽減され、残業は禁止される。周りが忙しそうにしているのに自分は暇だ。
簡単な仕事しか任せられない。
おそらく、深く悩むだろう。リストラされると思うのではないだろうか。
場合によってはうつ病になるだろう。
同じことが、うつ病から立ち直ろうとしている人にも起きるのである。
うつ病が再発するというのは至極当然のはなしである。
業務を軽減することは薬にもなるが、毒にもなることを忘れないでほしい。
それも健常な人をうつ病にするほどの強力な毒になる。

うつ病のひとを復職させるときは、本人の体調を慎重に見て業務量を調整する必要がある。
むやみに軽減しても、それが負担になる場合もあるのだ。
多くの場合、これは忘れられている。
(あえて気づかないふりをしているのかもしれない。そうやってうつ切りをするという手口がある)
「体調を慎重に見て業務量を調整する」この言葉の意味を勘違いしないでほしい。

1月-2月:異常だと言えない異常な日々

1月は私の仕事のひとつの節目となっていたので多忙な日々が続く、どうにか仕事をしていた。
上司に相談したからと言って、体調が良くなるわけではないのだ。
問題は解決していないし、絶望と苦しみは続くのだ。
このころは睡眠もおかしくなってきていた。 疲れが取れないというよりも眠気が取れないのだ。
いくら眠っても眠気が取れず、日中のあり得ないシーンで気絶するように眠ることもあった。

LPIC Level2を取得したのもこの時期だ。
眠気とか体調とか、おかしくなっているところ、まさしく満身創痍で勉強した。
正直、かなり無理をしていたので、予定を2週間先延ばしにして受験した。
うつ病になることは予定にはなかったのだ。
それでも予定どおりに進めていこうとする周囲の状況は、この会社の危険な文化だと感じた。
異常が起きたときに異常だと言えないことは、問題をより深刻な状況に向かわせる。
この会社で私はそういう雰囲気を感じた。

丁度この時期に4月から大阪に異動となることが伝えられる。
もともと、そういう予定でもあった。
しかし、明らかに体調のおかしい社員に転勤を命じるのか、気にしていた。
ただそこは予定を大事にする会社、変更はなかった。
当時の私は大阪に異動することに否定的な気持ちはなかったが、
今思えば、あの状態の社員を転勤を伴う異動をさせることはあり得ない判断だった。
転勤を伴う異動は本人が気にしていなくても、大きなストレスになるのだ。

噂なので事実か知らないが、当時、東京に残るという可能性もあったらしい。
ある上司が反対したため、それは叶わなかったらしいが、
東京の仕事はサーバに近い内容であったし、もしもこのときに東京に残れていたら、
悩むことも少なく、もっと良い結果になっていただろう。
体調を崩している私を部下に持ちたくないという気持ちも、理解できる。

3月:引っ越しというのはとても大変

大阪の配属がどうなるのか2月末までわからなかったということもあり、
3月の忙しい時期に、引越し先をさがすことになる。
ほとんど限界のような体調で、休日を潰して引っ越しの準備をした。
休む時間など無かったことは言うまでもない。
これを禁止する法律がないのだから仕方ない。労働者は弱いのだ。

ストレスが免疫力を低下させるというのは、どうやら本当のことのようで、
この頃から風邪気味のような状態が長期的に続く。
熱はないのでマスクをして出勤していた。
社会人になってからこれまで、風邪や腹痛で2回仕事を休んでいる。
土日に重なったこともあって、半休や1日の休みで済んだのだは不幸中の幸いだった。
中学から大学まで風邪にすら罹らなかった健康人間でもこれである。

健康というものは社員が守り、会社が消耗する。それでいいのか

この会社に入って上司から
「会社は社員の健康には責任を持たないから、自分の健康は自分で守るものだ」
ということを教えられたが、仕事のストレスがここまでになると
個人で対応することは不可能ではないかなと思う。
社員が言うと立派だが、上司や会社がこれを言うのはあまりに無責任な言葉である。

今の世の中、これが普通なのかもしれないが、
仕事のストレスが社員に与える影響にはみんな気づき始めてきている。
これからの仕事、会社の在り方は、
社員の健康は会社と社員が協力して守るということが、
求められていくのではないだろうか?

そうしていかなければ、社員の健康を会社が消耗していくことが許されてしまう。
医療保険制度はギリギリのところで運営されており、
人を消耗することのツケは社会全体に返ってくる。
個人の問題ではなく世の中全体の課題として、取り組む必要のある問題である。

就職活動も終わり。NTT-ATに決めた理由

就職活動も終わりの頃

2011年の5月頃、私は日立ソリューションズの内定者懇親会を蹴って
NTTアドバンステクノロジ(NTT-AT)の最終選考に参加していました。
今思えば、これが最初の失敗でした。
変に考え込まず、日立ソリューションズに行っていれば、
もっといい形で今日まで楽しく苦労を重ねてこれたはずです。
私は最終的にNTT-ATに入社することを決めてしまいました。

誰かが悪いという話ではない

誤解がないように説明しておきたいのですが、
これは私にとってはよくなかったというだけで、
NTT-ATが悪い会社というわけではありません。

その後の配属が違っていれば、良い選択になったはずです。
同じリスクが他の会社にも同じだけ存在していたはずです。
もしもを繰り返せばきりがありません。
一つ言えることは、今からする話はNTT-ATが悪いわけでも、
私本人が悪いわけでもないということです。
いろんな人生の岐路において、運が悪かった。
(いや、本当は私の頭が悪かったのですが・・)
それだけの話しなのです。

どうしてその会社を選んだか

さて、入社前の話に戻りましょう。
ここで、どうしてソフトウェア志望の人間がNTT-ATを選んだのか
という疑問が出てくると思います。
真剣に悩みました、そしていろんな理由があります。
日立ソリューションズ社員数も多く、大企業と言って差し支えありません。
対してNTT-ATはパッとしないという印象でしょう。
大抵のひとは日立ソリューションズを選ぶのではないでしょうか?

私は「マッチング」と「成長」の2つを主軸に
次のように考えました。そしてNTT-ATを選択しました。

マッチングについて
  • 採用人数が多いとミスマッチが起きる可能性が高いのではないか、NTT-ATは採用人数が少なくリスクが少ない
  • NTT-ATは面接の中で、私がいかにソフトウェア開発に強い執念を持っているか伝える機会があった。ミスマッチは起きにくいだろう
どのように成長できるか
  • NTT-ATは強みがハッキリしていた。ソフトウェアについては周りに技術がなくても、自分から身につけて行く自身があったので それ以外の技術がハッキリとしていることは、魅力に思えた。
    ソフトウェアというのは単体では役に立たないというのが私の持論で、別の技術と組み合わせることで真価を発揮すると考えています。(今でも割と本気でそう思ってます。)
    NTT-ATはそういう意味でソフトウェアと組み合わせる別の技術がハッキリと見えていました。
    成長する姿もイメージし易いかったという理由があります。
その他
  • 日立ソリューションズは内定者懇親会を欠席してしまった。バツが悪い。
  • 日立ソリューションズの二次面接では少々圧迫面接のような形があり、ネガティブな印象を持っていた。
  • NTT-ATの最終選考では私がソフトウェア開発について何を大事にしていて、 どういう経験をしてきたのか熱く語ることができた。 そしてそれを真剣に聞いていただけたことに感謝していた。つまり、良い印象を持っていた。

※これらは私の勝手な妄想であり、事実とは関係ありません。
実際、この考えが非常に甘かったということは入社後に現実を持って証明されます。

運命の時

2012年1月の出来事です。その時は、突然訪れます。
2011年の10月頃に提出した配属先の希望、その結果が通知されたのです。
今でもその時をハッキリ覚えています。
友人と笑いながら焼肉を食べていました。
修士論文でこれから忙しくなるので、体力をつけて頑張ろうという感じだったと思います。
その席で、当時まだ珍しかったAndroidスマホに配属を通知するメールが届いたのです。
高専、大学、大学院、ソフトウェアのことしか考えてこなかった人間です。
まさか、自分がネットワーク分野に配属されるとは夢にも思いませんでした。
たしかに他の人よりはネットワークにもサーバにも強いです。
ただそれよりも遥かにプログラムが書けるのです。
誰よりもソフトウェアエンジニアリングを愛してるのです。
目の前が真っ暗になりました。表情が暗くなるのをごまかしながら、
フラフラとトイレまで歩いて、何度もメールを確認して
ちょっと迷惑なくらいトイレで絶望していました。
それから、口数が明らかに減った自分を、友人は不思議に思ったでしょう。

本当に私はそれどころじゃなかったのです。
それから一週間ぐらい食べ物が喉を通らず、体重が7kgほど減りました。
医者に相談したら胃薬をくれました。一時的なものという話でした。
体重が50kgを切ったのは、大学に編入して間もなく多忙だった時期以来です。
今度は研究も終盤、理系学生にとってはその時期が甘く思えるほど忙しい時期です。
なんとか無理を効かせて、死にそうになりながら、どうにかこうにか論文を仕上げました。

留年してもう一度就活をしようか、
そんなことも考えましたが、なにもかもが遅すぎました。
時期的にも経済的にも、そんな無理は通りませんでした。
もっと早くにわかっていれば、
こんなことなら別のもっと良い方法がいくらでもあったのに、
いくら後悔しても時間は戻りません。

そんな経緯で、私は不安だけを胸に抱えながら
2012年4月1日NTTアドバンステクノロジに入社するのでした。

何故振り返るのか

何故振り返るのか

あまり過去ばかり見ていてもいいことはありません。
未来につなげていくために振り返るということを忘れてはいけません。
振り返る理由を見失わないために、ここで整理しておこうと思います。

  • 私自身がこれまでを整理すること
    ひとつめの理由は、私自身のためです。
    自分自身の今を再確認することで自信を持つことができればと思っています。

  • 私のような人が同じ失敗を繰り返さないための材料となること
    ふたつめは、同じような悩みを抱える人のためです。
    私ほど愚かな失敗をする人はそうはいないでしょうが、
    悩む人がいたときに愚かな私の経験が何かに生かせればと思います。

  • 人がどのような経緯でうつ病を患い、乗り越えていくかということの記録
    みっつめは、精神疾患に悩む人のためです。
    私はうつ病になり、様々な苦しみを味わってきました。
    その中で一番思うことが、うつ病というのは非常にわかりにくい病だということです。
    これは周囲に対してはもちろんのこと、本人にも言えることなのです。
    私の体験を伝えることで、うつ病というのがどういう形で進行してゆくのか、
    そしてどうやって治療していくのか一つの事例として公開できればと思っています。

制約について

どこからどこまでを書くべきか非常に悩みました。
なるべくすべてを書きたいのです。
私の名前から経歴、社名などもすべて隠すことなく書きたいと考えています。
しかし、公表するとまずいものもあります。

  • 個人の名前について
    プライバシーの観点から私以外の個人名を公表することはできません。

  • 企業の秘密について
    企業にプライバシーは無いにしても、
    営業の自由を脅かすようなことは書けません。
    つまり、業務内容の詳細を書くことはできません。
    虚偽の内容を書くわけではありませんので、社名は大丈夫と思われます。
    社名があれば具体的な業務内容などが、 公開されている範囲の材料からイメージしやすくなります。 そうなればうつ病の背景などをより、現実味を持って知れるのではないでしょうか

  • 私のプライバシーについて
    社名を公開するのであれば、私の本名を公開するのが筋でしょう。
    ただ、これには勇気が要ります。
    ネットでプライバシーなんてのは無いようなものですから、
    恥部をさらけ出すことはとてもリスキーです。
    一度、口から出たものを戻すことはできませんから、
    うつ病であったことを名前付きで公表するというのは、あまりに難しいです。
    卑怯にも本名を隠すことを許して下さい。

  • 2016/10/07追記
    結局社名は隠さず出すことに決めました。
    ただ守秘義務なんかがあるので、詳細な仕事の話とかは書きませんし
    書けません。書く気もなければ、書く必要もありません。
    イオンに行ってフードコートでラーメン食べたくらいの感じで
    会社に入社してこんなかんじでうつ病になった
    守秘義務とか会社の業務とかを邪魔しない形で書くことが
    結果的に会社の評判とかを守ることにつながるのではないかと思います。

振り返る前に

まず書き始めるにあたって、多くの方々に謝らなくてはなりません。
この4年間、私は多くの失敗をしてしまいました。
同時に多くの得難い経験をさせていただき、成長できたと感じています。

私の挑戦を支えてくれた方々、力添えを頂いた方々に深く感謝するとともに
無謀な挑戦に付き合わせてしまったことを深く反省しています。

1年目、三鷹でお世話になった方々には戦力になるまで、
たくさんの経験をさせていただきました。
そこで得た知見を同じ会社で活かせなかったこと、
決して私が望んだわけではありませんが、申し訳なく思っています。

また、キャリアについて大きすぎる悩みを抱えた私は
「扱いにくい新人」だったと思います。
何度も相談に乗っていただきありがとうございました。

2年目、堂島の皆様とは仕事ができてとても良かったと思っています。
もう少し、心に余裕があれば楽しく仕事ができたと思うのですが、
本当に申し訳ございません。
また、急病で抜ける形になってしまい、大変な負担をかけてしまいました。
私自身にこれを回避する力がなかったことを、深く反省しています。

3年目、東天満でお世話になった皆様
病気で復職した私は、配置などイレギュラーな扱いになっていました。
それで私自身も苦労しましたが、皆様にもその負担の一端を預けてしまいました。
本当に申し訳ございません。

仮想化技術について、一生懸命に取り組むことができ、
それまでのネットワークから開放されたとても楽しい時間でした。
もっと万全の体調で挑めていたら、良い成果が残せたのにと心残りです。

また、病気について何度も面談をさせていただいたBU長、部長、
そしてその他の皆様には難しい対応をお願いしてしまいました。
私の見えないところで、大変な苦労があったかと思います。
本当に申し訳ございませんでした。

新入社員ですからいきなり戦力になれないのは仕方のないことかもしれません。
戦力になれるまでの貴重な経験をさせていただいたことを深く感謝しています。

そして、私の最大の後悔は、
せっかく育成していただいたのにそれを十分に活かすことなく
退社してしまったことです。
病気によるもので、やむを得なかったという事情もありますが、
もっと早くになにかすることで、回避できたはずだと思っています。
回避するために何もしてこなかったわけではありませんが、
結果としてうまくいかなかったこと、それにより沢山の方々に迷惑をかけてしまった
ことを深く反省しています。