3年目:NTTアドバンステクノロジを退職した年の出来事

法的なところを精査してから詳細なものを書く

良い会社とは何か:一人の会社員として学生や経営者、世の中の悩めるあらゆる人へ

はじめに

みんな良い会社に入りたいと思ってるだろうし、そのために努力もしてきただろう
それなのに何故か裏切られる人が多い。本当に良い会社なら入社後にギャップを抱くこともないはずだ。
多くの人にとっていい会社とは大企業で、その理由は同じ会社に定年まで勤めることが幸福だと信じているからだろう。
私も例にもれず、そういう考えだった。しかし、それは最も不幸になる選択だった。
定年まで働ける会社など、無いのである。
今の時代40年は働くことになる。過去40年、日本企業は何万人リストラしてきただろうか?
自分だけがその例外だと考えるのはあまりに愚かである。
企業はもはや、社員の将来を保証することができなくなってしまった。

良い会社とは生涯に渡って社員の幸福を保証してくれる会社である。
かつての日本の大企業はたしかに良い会社だった。
しかし、近年その体力は無くなってしまったように見える。 大企業というような漠然とした言葉ではなく、
より具体的な言葉で良い会社をイメージする必要があるのではないだろうか?

良い会社とは誠実な会社である

良い会社とはお客様満足度NO1の会社でもなければ、リストラしない会社ではない。
給料が高い会社でもなければ、残業のない会社でもない。
良い会社とは社員の幸福を保証できる会社である。
風通しのいい会社や社員満足度の高い会社はひょっとするとそうかもしれない。
しかし、それを実現するために必要なのは高い給与やリストラしないことではない
ただ誠実であることが重要なのである。

大企業であったとしても、不誠実であっては良い会社にはなれない
不誠実な会社では物事の正しさや誠実さではなく、社内政治の力で物事が決まる。
そこは不正の温床になり、命に関わる部品や会計情報の欠陥が隠蔽されたりするのである。
時事ネタなので補足するとタカタ、東芝が上記のようなことを行った。
内部の不正が会社の寿命となるのは、掘り起こせばいくつも出てくる。
不誠実な会社はあなたが定年するよりも前に、あなたをリストラすることになるだろう。
東芝のために努力してきた社員が内部の不正のために苦しむのは本当に可哀想だ。
そんな生き方を幸福と言えるだろうか?
会社は社員の幸福を守るために誠実でなくてはならない。

誠実な会社は風通しが良い

誠実な会社というのは風通しがよくなくては実現できない。
社員が人間である限り、不正の火種は常にありつづけると考えていなくてはいけない。
不正の火種を消し続けることが会社として全うしなければならない責任なのである。
そのためには不正の火種を知るための風通しの良さが実現できていなくてはいけない。
会計や会社の重要な決定への不正、命にかかわるような部品ではなくても、
製品に関する不正はもちろん起きてはいけない。
正しくないことに対して、正しくないと言える場を維持する必要がある。
風通しの良さとは末端の人間が誰にでも気兼ねなく意見を伝えられるということである。
これを実現することは蔑ろにされがちだが、健全な会社を維持するためにはなくてはならない要素である。

大きな問題を例にしてきたが、会社が日々晒される小さな問題を初期で食い止めるためにも重要である。
例えば、炎上するプロジェクト、多くは取り返しのつかない状況になってから表面化するが、
内部にいる末端の社員はそれに気づいている場合が多い、タカタの不正もそうだったのではないだろうか。
取り返しのつかない状態になる前の初期の段階でこれを食い止めることが、
良い会社として社員の幸福を守ることに繋がり、ゆくゆくは会社の信頼や利益を守ることになるのである。

風通しの悪い会社がこれらを実現することは難しい。
風通しの悪さは大きな問題の火種を隠蔽することに繋がるからだ。

私の体験では、うつ病になるずっと前にそのサインが出ていた。
小さな火種のうちにそれを消し止めることができなかったのは、私の努力不足だったかもしれないが、
(個人的には出来る限りのことはすべてやった、努力不足とは思っていない。
あそこまで相談するのは珍しいぐらいだ。具体的にどういうことが起きていたかは別記事を読んでほしい) 会社の風通しの悪さが大きな要因であったように思う。
小さな火種を放置するということは社員ひとりひとりが抱える問題を共有できないということでもある。
何度も上司と相談をしてきたが、それに対して対応が十分でなかったことが、
最終的に私のうつ病と休職、退職へと繋がった。そうなるずっと前から対処することはできたのだが、
それはなされなかった。少なくともNTT-ATは私にとっての良い会社ではなかった。

誠実な会社の社員は誠実である

不正が起きない環境作りとは非常に難しい。人間というのは面倒を嫌う生き物であり、
たいてい他人の面倒事にはかかわりたくないものである。
例えば、ある社員が不向きな部署へ配属され、うつ病になろうとしているとき、
その面倒事に関わろうとしないということは、いかにも自然なことである。
そういうことに首を突っ込んで、振り回されても自分に得がないなんて思っているのではないだろうか?

実はそんなことはない、その社員が自殺したり、うつ病の朦朧とした意識の中ミスをしたりしたら、
その影響は会社全体でカバーすることになる。未然に防ぐことで会社の将来の損失を防ぐことができるのだ。
世の中残念なことに会社の将来の損失を防ぐことは評価されにくい。しかし、非常に重要なことである。 その社員は私のようにネットワークでは人並み程度の働きしかしないかもしれないが、
ソフトウェア系であれば人並み以上の働きができる人材なのかもしれない。
人には得意不得意があるし、そこをカバーし助け合うのが会社という共同体である。
その機能が十分に果たせていないとき、あなたは誠実にそれを助けてあげればいい。
誠実な会社であれば、社員がその能力を存分に活かし、利益を出すことを咎めないはずだ。

不誠実な会社ではそれが許されない。助けたことが裏目に出て、飛ばされる可能性もある。
そんな組織で、人が人を健全に助け合うということは機能しない。
あなたが助けられる立場のとき、まわりから見放されないと本当に言い切れるだろうか?

プロジェクトでも同じことが起きる。無理な仕様、無理な納期、セキュリティ上の不備。
それらに気づいていたとしても誠実な社員がいなければ、それに意見することはできない。
不誠実な組織では正しいことが評価されず、罪になるのである。
仕様の不備、セキュリティ上の不備を指摘したことであなたはプロジェクトを外されるかもしれない。
そんな組織が本当に良い製品を作っていると言えるだろうか?
タカタのエアバックのようなことが本当に他人事であると言えるだろうか?
あなたその仕事を胸を張って人に説明できるだろうか? 子供にその製品を作り上げたことを胸を張って説明できるだろうか?
その仕事で食べていくことは本当に幸せなことであるだろうか?
その会社の不正は未来永劫、明るみに出ないと言い切れるだろうか?

そんなことはないはずだ。あなたは誠実に働き、健全に評価されたいと願っているはずだ。

不誠実な会社というのは不誠実な社員が作り上げるものである。
不誠実な社員が社員の誠実な取り組みを邪魔することで、会社を徐々に不誠実なものに変えていくのである。
誠実な会社を維持するというのは非常に難しいことでもある。
それは一人一人が勇気と正義感を持ち、誠実に仕事と向き合う必要があるからだ。
人間どうしても手を抜きたいと考えるものである。その手抜きは小さな不正かもしれないが、
徐々に周りを巻き込み、不誠実な会社を作り上げることに繋がる。
あなたが誠実な会社で働き、幸福な社会人生活を続けたいのなら、勇気を持ち健全な仕事をしてほしい。

それがあなたの会社の誠実さを維持することに繋がる。
誠実な会社とは、誠実な社員によって実現される。

良い会社は社員の不満を放置しない

良い会社は社員が誠実であり続けられるように努力する 良い会社は不誠実な社員のリスクを理解している。
そして、努力せず放置していた場合、社員の誠実さは徐々に失われることも理解している。

そのために良い会社は社員の不満を放置しない。
会社はあらゆる制度で運用されているが、制度を運用するのは人である。
人である限り、なにがしかのミスは起きるものである。
たとえば、私の場合、最初の配属でミスがあった。
新卒の段階でその人のスキルを十分に把握できないことはやむを得ないことだ。
しかし、それがミスであったのであれば、深刻な事態に発展する前に手を打つ必要がある。
平等な制度のもとで運用されているからと言って、それが平等な結果をもたらすとは限らないのだ。
社員就業規則というのは基本的には会社にとって有利に、ミスというものが無いように作られている。
規則を表面通り実行したからと言って、健全に会社を運営できているわけではないということを理解しておかなければいけない。

些細なミスを重大な事態に発展させないためには、社員の不満を放置するような会社であってはいけない。
不満というのは会社に対する問題点の指摘である。
これらを真摯に受け止め、良い会社っを維持していく体制が作られていなくてはいけない。

社員満足度というのはこういったことに影響する。
いつまでも時代遅れの人事制度、仕事の進め方、評価制度、それらに縛られていては会社自体が時代遅れになってしまう。
そうしたところでまず最初に指摘してくれるのが社員である。
まずは不満という形でそれが現れる。社員に我慢させるような教育はしないほうがいい。
改善という重要な機会を失うことにつながるからだ。

例えば、社員に使いものにならないようなノートPCをいつまでも使わせていたとしよう。
起動に15分以上かかって、簡単な業務支援ツールも作れないようなノートPCである。
それらが、業務の遅延になっていたとしても社員が不満を口にせず我慢していたのなら、それは非常に重要な機会を失っている。

良い会社は社員の不満を放置せず、良い会社であるための努力を続けている。
良い会社とは社員の不満に耳を貸し、それが改善できるように努力するものである。

私の場合はNTT-ATという会社で、明らかに不向きな仕事を任されていた。
うつ病にまでなっても上司は不向きであることを認めようとはしなかった。
それどころか上司は「個人的にはうつ病ではないと考えている」と私に考えを話していた。)
初期配属の誤りを容易に訂正できないことに不満を持っていたが、会社がそれを相手にすることは無かったように見えた。
今なおそうした体制が続いているのだとしたら、やはりNTT-ATは私の定義する良い会社ではないのだと感じる。
(もしかすると誰かにとっては良い会社なのかもしれないが、私にはとてもそうは思えない)

良い会社は仕事の問題を放置しない

人間のやることにはミスがつきものである。
ほとんどの場合、物事というのは計画通りに向かわない。
人間は神様ではないので、未来を正確に言い当てたり予言したりはできないのである。
それでも人は自分たちの力を神のそれに近づけようと、日々努力をするのである。
しかし、人間にその力はなかった。もしその能力があるのなら、
バベルの塔を建設する偉業は成し遂げられていただろう。

100%というのはありえないと言うことを、人は認識しなくてはいけない。
完璧な人員配置は存在しないし、完璧なプロジェクトも存在しない。
理想の人材というのは揃わない、プロジェクトは途中で意図しない方向に逸れたりする。
それは良くないことかもしれないが、決して悪いことではない。

会社は人間である社員に対して神の御業を要求してはいけない。
そんなことを要求したら、社員はプロジェクトの遅延を隠蔽し、
会社全体に関わる問題を勝手に解決しようとするだろう。
それらはときとして、会社全体を揺るがす大問題に発展する。

会社は問題が発覚したとき、それらを共有しやすい環境を作り上げる必要がある。
そのためには社員一人一人は完璧でなくても良いと言うことを教え、 問題を会社全体で解決する仕組みを実現しなくてはいけない。
人が人であってはいけない組織はいびつである。

私の場合、NTT-ATという会社で問題を会社と共有することが許されなかった。
何十回と上司と相談したが、仕事と自分の適正に疑問を持ち悩むことを悪いことであるように教えられた。
確かに良くないことではあるが、それが悪いことであるように言われたのはショックだった。
学生時代、ソフトウェアだけを志してきた人が、ソフトウェア開発をしたいと言って入社したのに、 配属されたのはネットワークの部署である。悩むのは当然のことである。
(それもソフトウェア開発においてプロレベルのスキルがあった。)
最終的に私は潰れ、うつ病になる。会社にとって問題を共有しなかったことにメリットがあったとは思えない。
おそらく上司もそうした問題を共有できない環境に置かれていたのではないだろうか?
会社全体として問題を共有できないと、人は問題を個人に押し付けるように動くのである。
こうした悲劇が起きないよう、会社は組織として問題を共有できなくてはいけない。

良い会社は社員の問題を放置しない

人間というのは常に健康というわけではない。
風邪をひくこともあれば、怪我をすることもある。
体調が悪くても勤務させたり、怪我をしていても無理をさせたりさせてはいけない。

人の人生はうまく行っていることのほうが少ない。
みんな悩みを抱えながら生きているのである。
会社は会社を支えている社員がそういう個人であることを忘れてはいけない。
本人やその家族が重い病気にかかったり、亡くなったり、 子供がいじめられたり、いじめたり、自殺したり、人を殺したり、
人生も長ければ、そういう不幸がつきものなのである。

特にこれは心の問題とも密接に関わる。人は仕事以外にも問題を抱えているものである。
社員は命令であるのなら日付が変わる頃まで仕事をする。
それは当たり前のことかもしれないが、本人は愛する家族と過ごしたいと願っているかもしれない。
いじめに悩み部屋から出ない娘のためかもしれない、
難病に苦しむ妻のためなのかもしれない。
人は仕事のためだけに生きているわけではない。
会社はそれを理解した上で社員に命令しなくてはいけない。

会社は社員の健康状態や家庭の状態にまで気を使うべきである。
会社がいくら社員に変わらぬ性能を望んだとしても、叶うことはない。
その社員は退職するか、休職するか、死ぬかのいずれかである。
そいつに根性がなかったのだと、現実逃避をすることは容易かもしれない。
しかし、社員は皆、自分たちが機械でないことを知っている。
会社が過ちに気づかない限り。彼らは自分たちの職場を探し出すだろう。人間の職場を

私の場合、うつ病で仕事ができない時期があった。
その時、会社は最低限のことしかしてはくれなかった。
うつ病からの復職というのは、非常に慎重に行う必要があるのだ。
社員の健康状態を正確に把握し、最初は勤務軽減などを行う場合がある。
会社は私の訴えに耳をかそうとはしなかった。
勤務軽減の必要性を訴える場にすら、立ち会わせてはもらえなかったのだ。
復職にむけた計画の説明はなく、私は会社から放置されたような気持ちがしていた。

良い会社で働くために

あなたが今から就職する人、学生なら

あなたが今から就職する人で会社を選べる立場なら、一人一人の社員を見てほしい。
誠実に仕事に取り組めているだろうかという観点で話をしたらいい。
仕事に情熱を持てず、諦めたように働いていたのならその会社では誠実さが機能していない。
誠実な会社なら仕事に情熱を持てないことに諦める必要はないからだ。

誠実な会社であれば、仕事に情熱を注ぐことを咎めはしない。
社員の生産効率を上げる方法はそれしかないからだ。
ただし、情熱はコントロールできない。 情熱というのは、その人がどういう人間だとか、どういう経験をしてきたかに大きく左右されるからである。
もしも、すべての社員が仕事に情熱を持っている会社があるのなら、
それは良い会社に違いないだろう。

あなたは社員の情熱を見て会社を探せば良い。

あなたが社会人なら

転職するというのも手段の一つだ。しかし、転職はしたくないのではないだろうか?
私もそうだった。不向きとは言え技術を教えてくれ、それを実践までさせていただいた。
会社に恩を感じていたし、なにより私はNTTというものを愛していた。
末端とは言えグループに貢献できることを誇りに思っていた。
(だからこそ、その内部を知ったときの失望も大きかった)
あなたもそういう人かもしれない。

ならばできることはもう一つある。
会社を変えるために声を上げることである。
問題は問題と認識されなければ、決して改善されることはない。

ただし、オススメはしない、あなたは周囲から煙たがられるようになるだろう。
今の時代組合もあまり役には立たない。
最終的にあなたは転職せざるを得ない状況に追い詰められることになる。
(あなたが退職しても、あなたがやったことは有意義なことである。
あなたの考えや行動は見ていた人の心に何かを残せるはずだ。)

良くない風土が浸透した会社で仕事に情熱を持つというのは非常に難しい。
納得のゆく仕事がしたいのなら、転職したほうが良い。
ただし、次の会社が本当に良い会社とは限らない。

常に忘れてはいけないことは、誠実に仕事と向き合う事である。
良い会社は決して不誠実な人間を受け入れない。
不誠実さは伝染し、企業風土を悪くすることを理解している。
あなたはあなたの信じる正しいもののために誠実に努力をしてゆけば良い。

悪い会社ではあなたの誠実さは非効率、愚かと評価される。
誠実さは会社をフィルタする良い道具になる。

あなたが経営者なら

健全な組織ができているか、厳しい目で監視するべきである。
社内政治というものは極力排除したほうが良い。
会議は根回しの結果しか報告されないだろうが、そういう文化を排除するべきである。
末端の人間は根回しなどできない。会議にすら呼ばれることはない。
しかし、企業の不誠実な行動に疑問を持つのは末端の人間である。
不誠実な支持をした人間が報告したのでは、かんたんに隠蔽できてしまう。
わたしは、NTT-ATにいたとき休職を何度かしていた。
このとき復職やその後の対応を決める会議には出席させてはもらえなかった。
そのときの会議に出席し、きちんと対応が議論されていたら、
私は今もNTT-ATで働いていただろう。
あなたがそうした体質の企業を望んでいるのなら構わないが、
やはり会社というのはお互いに支え合う組織であったほうがいい。
末端が無視され切り捨てられるというのは健全な会社ではないように思う。

仕事を愛し、その仕事をする自分自身を愛せているか、考えてみてほしい。
経営者なら、社員がそういう気持ちで仕事に向き合えているか、
考えてみても損はないのではないだろうか?

新卒で会社を選ぶときに大切なこと

はじめに

私は新卒でNTT-ATという会社に入社したのだが、それは贔屓目に見ても大失敗だった。
私の失敗を今の若者たちに繰り返してほしくはない。
そういう気持ちでこの記事を書こうと決心した。
私が考える理想の生き方と、どうしたらそういう生き方を許してくれる会社と出会えるのか
今まで苦しみ抜いて考えて得られた成果を、今から就職活動を始める若者たちへ伝えることができたらと思う。
幸い、今はそういう会社で仕事ができている。この業界では有名な会社だ。
これまで苦しいことはあったが、今の会社では良い人達と仕事ができている
挑戦もできるし、スキルがとてつもない速さで身につく、
そしてなにより、それを会社が求めてくれる。
今の幸福を多くの若者達に早い段階で味わってほしい。
私が、苦しい中でも諦めずに考え、ようやく得た知見を若者たちに伝えたい。

羨ましいことに今の就職市場は売り手市場だ。
そういう時代にこそ、自分の考えで会社を選ぶことができる。
最初の会社というのはとても大切だ。
だからこそ、よく考え、目先の利益を優先せずに本当に価値のある会社に入社してほしい。
そして私にできなかった人生を歩んでほしい。

私は最初の会社で失敗してしまったことで、うつ病になり、多くの代償を支払った。
結婚して子供を持ち、家庭を築くようなことは今からではなかなか難しい。
もしそういうことをしようとすると、精神的負荷に耐えられないだろう。
仕事に打ち込むことが、今の精一杯である。

今の若者たちは未来を担う大事な存在である。
その若者の子どもたちも当然、かけがえのないものに違いない。
だからこそ、そういう代償を払ってほしくはないというのが私の願いである。

仕事に生きる喜びを見つけよ

よくある言い回しに人間を二種類に分けるというのがある。
仕事に対する価値観も大きく二種類に分けることができる。
ひとつの価値観は「人生において仕事より大切なものがある」という考え方
そしてももう一つが「人生において仕事よりも大切なものなどない」という考え方
前者は人が仕事を辞めるときに口に出し、後者は人が仕事に就くとき(例えば面接)に口に出すが、
私は仕事を辞めるときも仕事に就くときも後者を力説し、今もそれを信じている。

今の若者たちには私が信じる「人生で最も大切なことを仕事にする」ということを伝えたい。

私の最も大切なことというのはITのスペシャリストになることなのだが、
きっと今の若者にも、夢とか目標があるハズである。
そして気づいていると思うが、多くの場合それを仕事にすることができなければ叶うことはない。
アーティストやスポーツ選手は確かに途中で諦めるということもあるだろうが、人の夢というのは人の数だけあって良い。
会計士のようなつまらない仕事に対して夢を抱くことは恥ずかしいことではない。
私はプログラミングに夢をいだき、カッコ悪いけれど、それを仕事にしても良いのだ。

これからの時代はそういう生き方こそ求められるようになる。
なぜなら、これからの時代は情熱がないと生きて行けないからである。

現代社会はすでにものにあふれている。AIが仕事を奪うという話もある。
これからの未来、生きるために仕事をするという生き方はなくなると私は考えている。
AIは確かに仕事を奪うだろう。
特にマニュアル化できるような単純労働がAIに置き換わるのはそう遠くない話だと思う。
しかし、絶対にAIに真似ができない仕事がある。
よく私はAIに置き換えることのできる仕事とそうでない仕事を説明するときに医療の話をする。
健康診断や病気の診断はAIに置き換えることができる。
しかし、新しい病の発見、新しい治療方法の模索は絶対にAIに置き換えることはできない。
今後の社会では新しい何かを作り上げる仕事への付加価値が益々高くなるだろうと予測している。
AIはそれを真似することができない
それに、AIや機械学習の論文は多くが公開されているため、簡単に真似ができるというのもある。
多くの企業に真似できるということは、競争が激化し薄利多売になるということだ。
半端な仕事をしている弁護士や医師は危うい

AIに新しい仕事を教えることは人間にしかできない。
将来、人はより新しい、クリエイティブな仕事に頭を集中させることになる。
たとえば、新しい治療法の発見だったり、新しい法律にたいする議論であったり。
それには必ず高度な専門性とそれを身につける情熱が必要なのである。

人間に許されるのは世の中に前例のないものを作り上げることだけという時代は残酷なほどに合理的にも見える。
夢に向かうための本を読んだり、議論したりすることにひとは人生を集中させることになるだろう。
決して不幸なことではない。不幸なのは中途半端に夢を捨ててしまった人々である。
心の底から夢を追う人と会社の命令で夢を押し付けられた人ではポテンシャルが違う。
競争の中で無理を強いられることになる。
反面、情熱を持てる人材は高い市場価値を持つことになる。

今の若者達にはそういう人材になってほしい。

そのために今自分が持っている夢を安々と捨てないでほしい
現在高い地位に有る老害の時代には夢は捨てるものであったかもしれない。
それはマニュアル化した単純労働を人間が行う必要があったためである。
しかし、これからはそういう時代ではない。そういう働き方は淘汰される時代である。

今の夢や情熱を仕事に繋げれるよう努力を惜しまない生き方を貫いてほしい。
その生き方は必ず理解される日が来る。

無意味な苦しみと洗脳から逃げよ

私が新卒で入社したNTT-ATという会社では、少なくとも私に対しては仕事の適性を無視した配属が行われていた。
また、それに対して上司からは「諦めろ」という説得と洗脳が行われていた。
そういう不合理で無意味な苦しみを野放しにする会社で仕事をしてはいけない。

これは私の3年間の忍耐の末、出た結論である。詳しくは以前の記事を読んでほしい
決してなんの根拠もなくこれを言っているわけではないと理解するはずだ。

社員をうつ病にしておいてなんの対策もできない会社というのは多い
NTT-ATでは配属部署で起きていた問題を放置し、部署異動という対策を講じることができなかった。
これには様々な事情があると思うが、その一番の原因は風通しの悪さにある。
柔軟で円滑なコミニケーションが無いということは、組織内での人員異動も柔軟に行えていない場合が多い
特に、うつ病という緊急性の高い状態になった時、その柔軟性はすぐに発揮されないといけないのだが、
風通しの悪い会社ではそうしたことはできない。
長い歴史の中で、人事権が乱用され、完全に会社のものになってしまっていることもある。
そうした場合、根拠のない軋轢のために、柔軟な対応が行われず、社員の健康状態が犠牲になることも多い。

最終的に、犠牲になるのは社員の健康なのである。
うつ病という病気は恐ろしい病気で、私でも治療には2年近くかかった。
多くの人は3年5年と治療を続けるそうだ。今の若者達にそうした時間の使い方をしてほしくはない。
風通しの悪さなど組織上の問題を抱えている会社は多く、その問題を社員に押しつけているのが現状である。
そうした会社に新卒で入社すると、無理を強いられる可能性が高い。
私はそういう状態になるくらいなら、転職したほうが良いと考える。
なぜなら、うつ病になったとき会社はまったく救ってはくれない。
ひどいところだと鬱切りが行われる場合もある。

そういう理不尽を当たり前だと、多くの社員が受け入れてる
「諦めろ」と洗脳のように言われてきた結果である。 理不尽には「おかしい」と言える会社こそ、あるべき姿だ。
そうでなければ時代の変化に対応できない
しかし、「おかしい」と言ってもそれを受け入れない会社もある。

その原因は私の経験では当事者意識の欠如にあると考えている。
わかりやすく言うと事なかれ主義のもっとひどいやつである。
「会社が失敗しようと、若手がうつ病になろうと自分には関係ない 」 そう考えている人間が多数を占めていると、何を言っても暖簾に腕押しである。

彼らは会社の状態が悪くなっても自分は安泰だと考えている。
仕事での成功が自分の成功だと考えられないのである。
私の以前いた会社は子会社でなおかつ役職者の殆どが本体から出向してきた人間である
事なかれ主義が悪化してしまう原因は会社の体質そのものにあったのかもしれない
(ここ文章は、私の憶測が多分に含まれているので、特定の会社の実態だと誤解しないでほしい
事実はある会社で私がそう感じたという部分だけである
断言していないことを読み手は注意してほしい)

言いたいのは会社で疲弊するくらいなら、辞めてしまったほうがずっとマシである。 ということ 今の時代、第二新卒を欲しがる会社は多い、過小評価されるリスクもない。
「仕事を教えてもらったのに気が引ける」なんて思う必要はない。
それよりもそのやり方は今の時代には通用しないと会社に教えることのほうが会社の利益である。
若者を使い捨てても許されるような時代ではないということを
会社に教えることこそが最後の恩返しとも言えるだろう
会社に対して不都合なことを指摘できる社員は貴重だ

将来を背負う若者たちをうつ病で潰してしまうような会社は
世の中に対して損失を出していると言っても過言ではない。
そういう会社は効率が悪く、ゆくゆくは淘汰される運命にある。

おすすめなのは、1年ぐらい仕事のやり方だけ覚えて
なるべく資格を取ってからが良い。
転職市場では努力できる人間だと評価されるだろう。

常に片手に転職切符を持て

シャープや東芝東京電力、安泰と言われていた大企業が傾くことは珍しいことではなくなった 。 人員削減、リストラのニュースはもはや日常になってしまった。 今の時代、会社にぶら下がろうとすることはリスクでしかない 。 ぶら下がっていると筋力が落ち、自分の力で歩けなくなるのだ。
だから常に自分がいま転職したとすると、どのような評価を受けるか考える癖をつけてほしい

会社が傾いたり、会社に切り捨てられる状況に備えることが、最もリスクが少ない
なにも転職しろと言っているわけではない。むしろ、転職できる人材を会社はリストラしない

会社が切り捨てたいのは他社も欲しがらないような人材である。
例えば戦略に失敗して勝ち目の無い事業、縮小したい事業に専門性を持つ社員や
すでに時代遅れになった技術しか持たない技術者なんかである。 彼らは会社の荷物でしかないし、将来的に価値のある人材にも育てることができない
こういう人材になってはいけない

だれも好きでこんな状態になるわけではない、
会社に忠義を尽くした結果そうなるのだ。 配属先が希望しない部署であるというのは、それだけ不幸なことなのである。
やはり、キャリアの主導権は社員が持つべきである。
会社の失敗を社員が取るようなやり方はいびつだ。

では、どうしたら主導権を握れるか?
転職しかない。残念ながら大抵の会社の人事制度は社内政治の道具になっており、
正常に機能することは期待できない。異動でどうこうというのは、
かえって信頼してくれた人たちに迷惑がかかるかもしれない
(私の場合はそういう状況になってしまったので、注意してほしい
会社の薄情さを知るには貴重な機会だったので、
夢から覚めることができた彼らは幸福なのかもしれない)

転職は社員に取って唯一残された手段だ。
社員だって好きで転職するやつはいない。
私もそうだし、貴方もきっとそうだろう。

だからと言って、会社を信頼し、自分のキャリアに
とんでもない負債を抱えてしまうのはお人好しが過ぎる。
あなたは何度も会社が保身やただのプライドのために
社員を裏切る姿を目にしてきたはずである。
会社はあなたを助けてはくれない

だから貴方は常に自分の足で歩く準備をしておく必要がある。それが転職である。 貴方は無意味な配置転換や残業手当を与えないための昇進、
無謀な経営戦略と人員配置、そんな会社の失敗のために人生を犠牲にされないための一つの手段として
転職できる体制を作っておかなくてはいけない。

それは同時に会社の戦略の合理性を理解し、他社と比較することでもある。
今あなたはまだ若く、会社の経営に対して当事者意識をもてと言われても難しいと思う。
だからまずは自分自身の人生の当事者となって欲しい。
転職という手段を持つことは、人生の当事者として責任を持たということでもある。

その積み重ねが会社の戦略の誤りを指摘し、当事者として会社に尽くすことに繋がる。
あなたが本当に優秀な人材として社会の役に立ちたいのなら、
転職という手段は間違っていない。

電通新入社員自殺について、残業をなくせば良いという話ではない

原因はなにかということはとても大事

インフルエンザで頭が重い、吐き気がする。熱もある。なので生理痛の薬を飲んだ。
当然、インフルエンザは治らない。
物事には原因があり、原因に対して適切なアプローチを行わなければ、問題は解決しない。

これを因果論という。
物事には原因があり、それを変えれば結果も変わるという考え方である。
西洋医学や現代科学はこの因果論を前提にしている。

高橋まつりさんのような不幸を再び繰り返さないためには、
何が原因だったのか、「正しく」考える必要がある。

残業にばかり注目が集まり、大切なところが見えていない

さて、世の中には様々な事情があり、いろいろな人の都合やらなんやらで、
物事の原因がはっきりと見ないまま問題がうやむやになったりします。
(日本の仕事効率が悪いのはこういうところに原因があるんだろうなぁ…)
今回の電通の事件でも同じことが起きようとしているのではないかと、危惧しています。

2015年12月25日、電通の新入社員、高橋まつりさんがマンションから飛び降り、
自らの命を絶った。労働基準監督署はこれを過労死と認めた。

よく、この件で恋人と別れたことが原因だという人がいるが、これは大きな間違いである。
たしかに表面だけ見ればそのように映るが、人はその程度では死なない。
ましてや、何ヶ月も会ってないような恋人と別れた程度で、
人がたった数日の間に死を選ぶとは思えない。

おそらく、最後の最後まで心を支えていた一本の糸だったのだろう。
人は1つでも心を支えてくれるものがあれば、大抵の苦労は乗り越えることができる。
それが過労死ラインを超えたものであっても、耐えることができる。
そういう最後の希望が恋人だったのではないだろうか。
その恋人と別れたことで、彼女は現実に耐えることができなくなってしまったのだろう。

恋人との別れはただの引き金にすぎない。
恋人の存在自体は心の支えであり、もしその存在がなければ、
より早い時期に、より深刻な状況になっていただろう。

間違いなく自殺の要因は職場の環境にある。
労働基準監督署の判断は、長時間に及ぶ残業による過労死である。
私はこれをあまり良いとは思わない。
人間はそれほど単純ではない。これ以外の要因もあったはずである。

労基署は手続の都合上、証拠を揃えやすい残業時間を選択したそれだけだろう。
このせいで見えなくなってしまった大事な出来事があったはずである。

うつ病になった私の経験からすると、過労はたしかに原因の1つにはなるが、
これだけで人は死ぬものではない。
背景にはパワハラ等の理不尽があったのではないかと推測する。

残業をなくしただけで、今回のような問題が解決するとは到底思えないのである。
その中で残業だけに注目する今のやりかたは、原因を正しく捉えていないように映る。
このままでは、多くの被害者と遺族が願う、「再発の防止」に
真の意味で近づいていないのではないかと危惧している。

ストレスの性質

ストレスというのはなかなか難しいやつで、人によって大小が異なる。
マネジメントみたいな人を扱う人種は得てして、
人を均質なものとして扱いたがるが、これが上手く行った試しはない。

私はこれまで、同じ別人と出会ったことがない。
人間というのはひとりひとり違うというのは、
当たり前すぎるほど当たり前な話だろう。
この現実を無視して人を均質なものとして扱うと、ひどい失敗をすることになる。
例えば私のような人間は1週間黙黙とプログラミングすることは息抜きに近いが、
別の人はただただ苦痛でしかないだろう。
これを勘違いして、プログラミングを辛いと感じるタイプの人間に
1ヶ月黙黙とプログラミングさせていたら、その人は潰れてしまうだろう。
そんな失敗をしないために、人を扱う場合はその人の特性を深く理解しなければならない。
難しいことだが、だからこそマネジメントは難しいのだ。

労働基準監督署が手を出せないパワハラ

高橋まつりさんの場合、次のようなパワハラがあったと残されている。
「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」
「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」
「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」
「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」
これらのパワハラがどれだけ高橋まつりさんに惨めな思いをさせていたか、
今となっては知るすべはない。もし、本人が生きていたのなら、
これらの言葉で人を傷つけることが咎められていないことに、どんな思いを抱くのだろうか。

世の中では、当然いじめやパワハラは許されてはいけないものだ。
しかし、存在するはずなのに、それが咎められることは殆ど無い。
証拠が残りにくかったり、それを処罰する法律が無かったり、
証言をする人が見えない圧力に屈して隠れてしまったり。
なんというか、この手の問題は組織ぐるみで隠そうという流れがあって、
それが容易にできてしまう法整備がされているのである。

なので、労働基準監督署や行政は、それに屈してしまう。
今回、長時間労働による過労死という判断であって、
パワハラについて触れられていないのは、
パワーハラスメントとの因果関係を示す証拠を揃えることが難しく、
そして容易にその証拠を隠せてしまうということを
皆知っているからではないかと私個人は思うのである。

こういう事件はどういうわけか、人が死んでからしか対策が取られない。
本来、自殺をするような精神状態になった時点で、なにか対策が取られなければならない。
証拠を揃えにくかったりすると、こうした対策も行われない。
いつだったか、社労士が社員を精神的に追い詰めて退職させる方法を
ブログ記事に書いたことがあった。
大きな問題になったが、その記事の内容はどうだったのだろうか?
現状、社員を精神的に追い詰めることを咎めにくい法整備しかされていないことの
表れではないだろうか?
残念ながら人の健康は現在の労働環境では保護されているとは言い難い。

人が健康を犠牲にすることのない労働環境に向けて

私個人は今回の事件が過労死だけに注目されていることを残念に思う。
人が死ぬ要因は過労以外にも職場環境には存在するからだ。
それに人が死ぬことだけが労働環境の問題ではないのだ。
大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するという
有名なハインリッヒの法則はいつも人の記憶から忘れられている。
人の死は氷山の一角でしか無く、それをなくすためには、
そこに隠れた「健康を犠牲にしてでも働く体質」を改善しなくてはならない。
それはパワハラだったり、いじめだったり、企業の体質だったり、
いろんなものが原因になりうるだろう。
それを無くすことが本当の意味での再発防止なのだ。
人が健康を犠牲にして働かなくても良い労働環境を実現しなくてはいけないのである。
時間という表面的な数字に注目するのではなく、
本当の意味で社員にかかるストレスを、社員と会社や組織が協力して減らして行く必要がある。

また、人が健康を犠牲にする職場環境を禁止するルールが必要ではないでしょうか?
本来守られなくてはいけない安全配慮義務は形骸化し、
社労士がちょっと頭をひねることで、責任を逃れることがまかり通っています。
それがブログに書かれたり、書籍になって本屋にならんでいるのが、今の世の中です。
こんな世の中では、会社が社員の健康のために協力をするなんてのは夢物語です。
もう少し、行政の動きやすい法整備が必要ではないでしょうか?

一億総活躍社会、働き方改革、その参加者に
過労やパワハラ、業務上のストレスで働けなくなった人はいるのでしょうか。
私や高橋まつりさんのように苦しむ人々はいつまでも、忘れ去られた国民でいるのでしょうか。
私は安倍政権の掲げる働き方改革に大きな期待を寄せていますが、
まるで忘れ去られているような無力感を感じます。
この問題に世の中はあまりに無関心です。
今回の問題ですこしでもこの問題が注目されることを願います。

我々に今できること

高橋まつりさんがどれだけ無念だったか、非常に心が痛む。
高橋まつりさんが手に入れることができた幸せが、
この先の未来から消えてしまったことに深い悲しみを覚える。

高橋まつりさんの母が書いた手記を読ませていただいた。
「あの日から私の時は止まり、未来も希望も失われてしまいました」
この言葉から、どれだけ深い悲しみの中にいるか、伝わってきます。

高橋まつりさんは母子家庭で母親に楽をさせたいという思いで努力を重ねて来られたそうです。
私には想像のできない努力と苦しみの先に手に入れたものがあったと思います。
それが、こういう形で無碍にされたことに怒りを覚えます。 努力の結果が何より大切にしてきた母親に深い悲しみを残すことであってはいけません。

今回の事件から学ぶことはもっと沢山有るはずです。
我々は何が起こっていたのか知り、次の悲しみを繰り返さないために、
考え、努力し、改善する必要があります。

たしかに、世の中はこの問題にまだまだ無関心です。
しかし、諦めてはいけません。
私自身も仕事のために健康を犠牲にしました。いまも闘病しています。
私の友人も過労で健康を奪われました。長い闘病生活の中にいます。
決して他人事ではなく、同じことは世の中のあらゆる場所で起きています。
それがまるで存在しないように扱われていることを、まず一人一人が改めなくてはいけません。
目の前の問題を認め、解決するためにはどうしたらいいのか、
我々一人一人が努力する必要があるのです。

就職活動も終わり。NTT-ATに決めた理由

就職活動も終わりの頃

2011年の5月頃、私は日立ソリューションズの内定者懇親会を蹴って
NTTアドバンステクノロジ(NTT-AT)の最終選考に参加していました。
今思えば、これが最初の失敗でした。
変に考え込まず、日立ソリューションズに行っていれば、
もっといい形で今日まで楽しく苦労を重ねてこれたはずです。
私は最終的にNTT-ATに入社することを決めてしまいました。

誰かが悪いという話ではない

誤解がないように説明しておきたいのですが、
これは私にとってはよくなかったというだけで、
NTT-ATが悪い会社というわけではありません。

その後の配属が違っていれば、良い選択になったはずです。
同じリスクが他の会社にも同じだけ存在していたはずです。
もしもを繰り返せばきりがありません。
一つ言えることは、今からする話はNTT-ATが悪いわけでも、
私本人が悪いわけでもないということです。
いろんな人生の岐路において、運が悪かった。
(いや、本当は私の頭が悪かったのですが・・)
それだけの話しなのです。

どうしてその会社を選んだか

さて、入社前の話に戻りましょう。
ここで、どうしてソフトウェア志望の人間がNTT-ATを選んだのか
という疑問が出てくると思います。
真剣に悩みました、そしていろんな理由があります。
日立ソリューションズ社員数も多く、大企業と言って差し支えありません。
対してNTT-ATはパッとしないという印象でしょう。
大抵のひとは日立ソリューションズを選ぶのではないでしょうか?

私は「マッチング」と「成長」の2つを主軸に
次のように考えました。そしてNTT-ATを選択しました。

マッチングについて
  • 採用人数が多いとミスマッチが起きる可能性が高いのではないか、NTT-ATは採用人数が少なくリスクが少ない
  • NTT-ATは面接の中で、私がいかにソフトウェア開発に強い執念を持っているか伝える機会があった。ミスマッチは起きにくいだろう
どのように成長できるか
  • NTT-ATは強みがハッキリしていた。ソフトウェアについては周りに技術がなくても、自分から身につけて行く自身があったので それ以外の技術がハッキリとしていることは、魅力に思えた。
    ソフトウェアというのは単体では役に立たないというのが私の持論で、別の技術と組み合わせることで真価を発揮すると考えています。(今でも割と本気でそう思ってます。)
    NTT-ATはそういう意味でソフトウェアと組み合わせる別の技術がハッキリと見えていました。
    成長する姿もイメージし易いかったという理由があります。
その他
  • 日立ソリューションズは内定者懇親会を欠席してしまった。バツが悪い。
  • 日立ソリューションズの二次面接では少々圧迫面接のような形があり、ネガティブな印象を持っていた。
  • NTT-ATの最終選考では私がソフトウェア開発について何を大事にしていて、 どういう経験をしてきたのか熱く語ることができた。 そしてそれを真剣に聞いていただけたことに感謝していた。つまり、良い印象を持っていた。

※これらは私の勝手な妄想であり、事実とは関係ありません。
実際、この考えが非常に甘かったということは入社後に現実を持って証明されます。

運命の時

2012年1月の出来事です。その時は、突然訪れます。
2011年の10月頃に提出した配属先の希望、その結果が通知されたのです。
今でもその時をハッキリ覚えています。
友人と笑いながら焼肉を食べていました。
修士論文でこれから忙しくなるので、体力をつけて頑張ろうという感じだったと思います。
その席で、当時まだ珍しかったAndroidスマホに配属を通知するメールが届いたのです。
高専、大学、大学院、ソフトウェアのことしか考えてこなかった人間です。
まさか、自分がネットワーク分野に配属されるとは夢にも思いませんでした。
たしかに他の人よりはネットワークにもサーバにも強いです。
ただそれよりも遥かにプログラムが書けるのです。
誰よりもソフトウェアエンジニアリングを愛してるのです。
目の前が真っ暗になりました。表情が暗くなるのをごまかしながら、
フラフラとトイレまで歩いて、何度もメールを確認して
ちょっと迷惑なくらいトイレで絶望していました。
それから、口数が明らかに減った自分を、友人は不思議に思ったでしょう。

本当に私はそれどころじゃなかったのです。
それから一週間ぐらい食べ物が喉を通らず、体重が7kgほど減りました。
医者に相談したら胃薬をくれました。一時的なものという話でした。
体重が50kgを切ったのは、大学に編入して間もなく多忙だった時期以来です。
今度は研究も終盤、理系学生にとってはその時期が甘く思えるほど忙しい時期です。
なんとか無理を効かせて、死にそうになりながら、どうにかこうにか論文を仕上げました。

留年してもう一度就活をしようか、
そんなことも考えましたが、なにもかもが遅すぎました。
時期的にも経済的にも、そんな無理は通りませんでした。
もっと早くにわかっていれば、
こんなことなら別のもっと良い方法がいくらでもあったのに、
いくら後悔しても時間は戻りません。

そんな経緯で、私は不安だけを胸に抱えながら
2012年4月1日NTTアドバンステクノロジに入社するのでした。

何故振り返るのか

何故振り返るのか

あまり過去ばかり見ていてもいいことはありません。
未来につなげていくために振り返るということを忘れてはいけません。
振り返る理由を見失わないために、ここで整理しておこうと思います。

  • 私自身がこれまでを整理すること
    ひとつめの理由は、私自身のためです。
    自分自身の今を再確認することで自信を持つことができればと思っています。

  • 私のような人が同じ失敗を繰り返さないための材料となること
    ふたつめは、同じような悩みを抱える人のためです。
    私ほど愚かな失敗をする人はそうはいないでしょうが、
    悩む人がいたときに愚かな私の経験が何かに生かせればと思います。

  • 人がどのような経緯でうつ病を患い、乗り越えていくかということの記録
    みっつめは、精神疾患に悩む人のためです。
    私はうつ病になり、様々な苦しみを味わってきました。
    その中で一番思うことが、うつ病というのは非常にわかりにくい病だということです。
    これは周囲に対してはもちろんのこと、本人にも言えることなのです。
    私の体験を伝えることで、うつ病というのがどういう形で進行してゆくのか、
    そしてどうやって治療していくのか一つの事例として公開できればと思っています。

制約について

どこからどこまでを書くべきか非常に悩みました。
なるべくすべてを書きたいのです。
私の名前から経歴、社名などもすべて隠すことなく書きたいと考えています。
しかし、公表するとまずいものもあります。

  • 個人の名前について
    プライバシーの観点から私以外の個人名を公表することはできません。

  • 企業の秘密について
    企業にプライバシーは無いにしても、
    営業の自由を脅かすようなことは書けません。
    つまり、業務内容の詳細を書くことはできません。
    虚偽の内容を書くわけではありませんので、社名は大丈夫と思われます。
    社名があれば具体的な業務内容などが、 公開されている範囲の材料からイメージしやすくなります。 そうなればうつ病の背景などをより、現実味を持って知れるのではないでしょうか

  • 私のプライバシーについて
    社名を公開するのであれば、私の本名を公開するのが筋でしょう。
    ただ、これには勇気が要ります。
    ネットでプライバシーなんてのは無いようなものですから、
    恥部をさらけ出すことはとてもリスキーです。
    一度、口から出たものを戻すことはできませんから、
    うつ病であったことを名前付きで公表するというのは、あまりに難しいです。
    卑怯にも本名を隠すことを許して下さい。

  • 2016/10/07追記
    結局社名は隠さず出すことに決めました。
    ただ守秘義務なんかがあるので、詳細な仕事の話とかは書きませんし
    書けません。書く気もなければ、書く必要もありません。
    イオンに行ってフードコートでラーメン食べたくらいの感じで
    会社に入社してこんなかんじでうつ病になった
    守秘義務とか会社の業務とかを邪魔しない形で書くことが
    結果的に会社の評判とか名誉を守ることにつながるのではないかと思います。

  • 2017/06/27追記
    名誉毀損の恐れがあるとの指摘を友人から受けました。
    仕事で起きたストレスを振り返る以上、やむを得ない部分もあるのですが、
    NTT-ATにご迷惑がかからないように配慮していくつもりです。
    不満というのはたしかにあったのですが、それは社会人なら誰もが感じるようなことです。
    些細なことまで隠して書く必要なないのかと思います。
    当時の悩みがどのようにうつ病につながっていったのかを残すことは、
    やはり、世の中に有益なことかと思います。
    もし、ご迷惑がかかっているようでしたら、ご指摘ください。
    該当の箇所を修正いたします。
    どうしても、私の感じたことありのままを書いていくと一方向になります。
    それは、いくら配慮をしていても私では解決できない問題なのです。
    許されるのでしたら、あの当時NTT-ATの他の人達がなにを考えていたのか、
    知ることができれば、どのような誤解が起きていたのかということを残したいと思っています。
    うつ病のひとの考えと世の中の人とのギャップというものは恐らく存在します。
    それがどのような悲劇を起こすのか人々に知らせることができたら、
    繰り返さないための努力をする助けになると思っています。

  • 2017/07/01 意図せずコメントの記入が制限されていたため、ゲストからの書き込みも許可しました。
    より良い世の中を作るためには私一人ではできません。
    批判的なんかを受け入れることで、良い方向へ修正されることが必要です。
    基本的にブロックはしませんが、スパムのチェックに承認だけは残しています。

振り返る前に

まず書き始めるにあたって、多くの方々に謝らなくてはなりません。
この4年間、私は多くの失敗をしてしまいました。
同時に多くの得難い経験をさせていただき、成長できたと感じています。

私の挑戦を支えてくれた方々、力添えを頂いた方々に深く感謝するとともに
無謀な挑戦に付き合わせてしまったことを深く反省しています。

1年目、三鷹でお世話になった方々には戦力になるまで、
たくさんの経験をさせていただきました。
そこで得た知見を同じ会社で活かせなかったこと、
決して私が望んだわけではありませんが、申し訳なく思っています。

また、キャリアについて大きすぎる悩みを抱えた私は
「扱いにくい新人」だったと思います。
何度も相談に乗っていただきありがとうございました。

2年目、堂島の皆様とは仕事ができてとても良かったと思っています。
もう少し、心に余裕があれば楽しく仕事ができたと思うのですが、
本当に申し訳ございません。
また、急病で抜ける形になってしまい、大変な負担をかけてしまいました。
私自身にこれを回避する力がなかったことを、深く反省しています。

3年目、東天満でお世話になった皆様
病気で復職した私は、配置などイレギュラーな扱いになっていました。
それで私自身も苦労しましたが、皆様にもその負担の一端を預けてしまいました。
本当に申し訳ございません。

仮想化技術について、一生懸命に取り組むことができ、
それまでのネットワークから開放されたとても楽しい時間でした。
もっと万全の体調で挑めていたら、良い成果が残せたのにと心残りです。

また、病気について何度も面談をさせていただいたBU長、部長、
そしてその他の皆様には難しい対応をお願いしてしまいました。
私の見えないところで、大変な苦労があったかと思います。
本当に申し訳ございませんでした。

新入社員ですからいきなり戦力になれないのは仕方のないことかもしれません。
戦力になれるまでの貴重な経験をさせていただいたことを深く感謝しています。

そして、私の最大の後悔は、
せっかく育成していただいたのにそれを十分に活かすことなく
退社してしまったことです。
病気によるもので、やむを得なかったという事情もありますが、
もっと早くになにかすることで、回避できたはずだと思っています。
回避するために何もしてこなかったわけではありませんが、
結果としてうまくいかなかったこと、それにより沢山の方々に迷惑をかけてしまった
ことを深く反省しています。